れたがっているのだ。私は憐み深く胸を出してやる。
春の浜別荘
暮から年頭へかけて、熱海の温泉に滞在中、やや馴染になった同じ滞在客の中年の夫婦から……もしここを引揚げるようだったら、五日でも十日でも自分のところの別荘へ寄ってそこにいる娘と一緒に暮しては呉れまいかと、たっての頼みを私は受けた。
私は自分では何とも思わないのに、異ったところのある女と見え、よくこんな不思議な頼みを人から受ける。念のため理由を夫婦に訊いてみると、「あたたのような気性を、是非娘に写して置き度いから」というのである。私はむっとして、「模範女学生じゃあるまいし」と、つい口に出していってしまったが、夫婦の強請《せが》み方はなかなかそのくらいでは退けようもなく、また私自身書きものの都合からいっても何処《どこ》かところを換え、気を換える必要があったので、遂々《とうとう》温泉滞在を切り上げ、夫婦に連れられて汽車に乗り、娘のいる浜の別荘へ送り込まれた。
来て見て案外その別荘は気に入った。家は何の奇もない甘藷《かんしょ》畑と松林との間に建てられたものだが、縁側に立って爪立ち覗きをしてみると、浜の砂山の濤《なみ》のような脊とすれすれに沖の烏帽子《えぼし》岩が見えた。部屋の反対側の窓を開けると相模川の河口の南湖の松林を越して、大山連山の障壁の空に、あっと息を詰めるほど白く見事に富士の整った姿がかかっていた。そして上げ汐に河口の幅の広い湾入が湖のようになると、目を疑うほどはっきり空の富士が逆に映る。私は「まるで盆景の中に住んでいるようねえ」と美景を讃嘆した。
娘というのは数え歳は十六だそうだが、見たところやっと十二か十三で、脾弱《ひよわ》な胴に結んだ帯がともすればずり落ちるほど腰の肉などなかった。蝋細工のような細面を臆病そうにうつ向けて下唇を噛みながら相手を見た。ただ瞳だけが吸い付くように何物をか喘《あえ》ぎ求めていた。そうかといって病気もなかった。
私と娘の両親との約束は――一緒に娘と膳を並べて食事をするほか、もし暇があったら戸外の散歩へでも連れて出て呉れないか――、ただそれだけであった。だから私は所換えに依って新らしくそそられた感興の湧くに任せてぐんぐん仕事に熱中し出して娘を顧みる余裕を失ったが、娘は起きるから寝るまで私の部屋に来て、黙ってく[#「く」に傍点]の字に坐ったなり、私の姿
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