任《ま》かせたかった。アイリスの功利的ずるさが、差し当り二人に決闘の真似事をさせて、自分を彼等から解放させようと目論《もくろん》だ。
――さあ、決闘しなさい。
アイリスの決定的な提議にワルトンは一寸困ってしかめ面をしたが、直ぐにやっと笑って、ジョーンを振り向いて訊いた。
――ジョーン、やるかい、決闘を。
――何を詰らない。フォルク・ダンスでもした方がいいよ。タ、タ、タ、タ、タラッタラー。
口で調子を取りながら、ジョーンは何か鬱積した心中を晴らしたい気持から、両手を腰に置いて、脚を少し折り曲げ、弾みのつく腰付きで、ワルトンの前方へ進んだり、遠ざかったり、左右へ跳び歩るく。彼はやけ[#「やけ」に傍点]のようになって踊り廻りながら唄い出した。
[#ここから2字下げ]
タラッタ、ラタ、ラッタラー、
マーケットの日に、
私は初めてペッギーを見た。
彼女は乾草の上に腰を下ろして、
低い幌馬車を駆って居た。
タラッタ、ラタ、ラッタラー、
私は歌う、
其の乾草が若草で、
春の花を一杯つけたとて、
盛りの彼女に敵《かな》わぬと。
彼女が馬車に乗ってたら、
関所の因業なおじさんは、
ちっとも通行税とらないで、
一寸白髪頭をこすって、
低い幌馬車見送った。
タラッタ、ラタ、ラッタラー、
…………………………
[#ここで字下げ終わり]
ワルトンも向き合って踊り出した、二人は仲々調子よく踊った。調子の弾む程余計にアイリスは我慢がならなかった。自分の即興を逆にこすられて、彼女はじっとして居られなかった。精一杯の金切声で叫んだ。
――止まれ、あんた達は何故私の言う通り決闘をしないのです。
踊ることを止めたジョーンはむきになって抗議した。
――決闘する理由が無いんだ。
――理由? 理由が必要なの、あらそお、一体昔の決闘って、どんな理由でやったのだっけ。
アイリスは急に行手を塞《ふさ》がれたように意慾が突然押えられて、しょげ返った。アイリスは音なしくなって決闘の理由を尋ねた。そこでワルトンは口を入れた。彼は唾を呑んで自分のしゃべり出すきっかけを待っていたのだ。
――公衆の面前で自分の名誉を傷付けた者に対し、それから……ネルソンのように女の奪い合いで……。
不意におのおのの体内で何か重い塊《かたま》りがどしんと落ちたような気がした。現にその音が耳の中に鳴り渡ったようであった。その不意の不思議な感覚に向って三人の全精神が引き込まれた。そこで三人は冷やかな沈黙に落ちた。魂の底を突き抜けて虚無の中にまで沈んだような、脱力の沈黙であった。茫漠とした沈黙であった。其処から一番早く這い上ったアイリスではあったが、今は少しの感情の負担にも堪えられそうも無い程脳が疲れて居た。
近頃二人の男の間に挟まり、毎日続く焦慮にすっかり気持ちの制禦を失って居た彼女は、空《から》元気さえもう長く張りつめて居られなかった。彼女は白磁のように自い気品のある顔の表面をなお更ら無理に緊くして二人の男に命令した。
――私の為めに決闘しなさい。
――ふふん。
ジョーンは苦笑した。さっきからこづき廻された気分がつかえて吐気がして来た。眩暈《めまい》がしそうだ。が、アイリスは邪険に二人を両方へ押しやった。
――さあ、始めるんです。
――ピストルでやるんだ。
と言ったのはワルトンであった。彼は手真似のピストルを擬し、決闘の真似事でもすれば、気持や体をそう動かさず簡単に此の場が片附くと思いついたのだ。
男達は向き合った。右手を握り人差指だけを延ばしてピストルの形を造り、左腕を水平に曲げた上へ載せた。男達は合図をつまらなそうに待った。
――用意、――始め!
――ぱん。
二人は同時に口を弾いて怒鳴った。ワルトンは自分の左胸を両手で押えて、わざと芝生の上に倒れた。
――射たれた。
ワルトンは倒れると直ぐ少しおどけた風に細眼を開けてアイリスの機嫌を覗いた。
――は、は、は、は。
無力な声でアイリスは笑った。妙に情け無い顔をして彼女は笑った。今では彼女は男達が何をしようと構《かま》わない気がした。実際どうでもよかった。が、それでも余りに男達の決闘の真似事があっけなくて不満だったし、もう少し男達に離れて居て貰いたかった。
彼女は詰らなそうに小首を傾げて停って居た。ジョーンは何事も無かったように無表情な顔付きで、ピストルの形をした右手を下げて元の場所に突っ立って居た。それでも硬ばった気持ちがまだ胸にのこって居た。生来陽気であったワルトンは此の冷やかに淀んだ気配の中に住む事は寸刻も出来なかった。何かをふっとばしたかった。そうしたら何かそのあとから大変気に入った事でも出現するように思えた。そこで彼は強いて弾んだ調子でジョーンに飛び付いた。
――おい、レスリングをし
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