悪そうにぐっと引き止めて立止まった。彼女の眼前に差し出されて、行手の半分程も遮蔽《しゃへい》して居るワルトンの顔を、彼女はさもさも邪魔物のように自分の頭を下へ幾分下げて、左手の芝生を覗いた。
 ――あら、此処、何、ゴルフ場じゃ無いんでしょう。
 アイリスは顳※[#「需+頁」、第3水準1−94−6]《こめかみ》や上眼瞼に青筋のある神経質の小さな顔を怪訝に曇らせる。彼女の顔は晴れても曇っても品位を失わない顔立だ、調って正確な顔だ。彼女はロンドンの大抵の女のように痩せて堅そうな体付きをして居るが、腰の短な細いくびれから臀部《でんぶ》の円く膨れた辺りにスマートな女らしさをしっかりと保って居る。彼女は痩せた体を尚更硬張らせて長方形の一段周辺より下った芝生を見入って居る。
 ――ふふん、これは何だか可笑《おか》しな所だな、羊でも囲って置いた所だろう。
 ワルトンは持前の早合点で言ってのけた。が彼の言葉を言い切るまでに已《すで》に彼の頭の何処かで、彼の此の考察を引き留めるものがあった。でワルトンは不審そうに黙ってアイリスと同じように、晩春の午後の陽射しを受けて淋しく燻《いぶ》し銀《ぎん》色に輝く白樺の幹や、疎《まば》らな白樺の陰影に斜めに荒い縞目をつけられて地味に映えて居る緑の芝生を眺めて居た。
 ワルトンの言葉に薄笑いを浮べて居たジョーンは、しゃくるような瞥見《べっけん》をワルトンに送った後、小声でアイリスに言った。
 ――此処はね、昔決闘場だったんだ……。
 ――まあ、決闘場だったの。
 アイリスはジョーンの説明を打ち切らした程とんきょうな叫び声を挙げ、ジョーンの左腕をぐっと下へ引いた。ジョーンは右の人差指で芝生の両端を指しながら、何かを教えこむようにアイリスに言った。
 ――ね、向うと此方に立ってね、剣を持って互に真中に進み寄ると、突き合い切り合いをやったんだよ、凄《すご》かったんだろうな。
 アイリスは殆んど聴いて居ないような早さで聴くと同時に彼女は、急に左右の男達の腕から身を抜いて、決闘場の芝生の上へ飛び込んだ。
 二人の男達も、無抵抗に引きずられるようにするするついて走り込んだ。男達が其処に停ち止まったアイリスの傍まで駈けつけた途端に、振り向いたアイリスは、右の人差指を延ばして矢継《やつ》ぎ早《ば》やにワルトンとジョーンの心臓部を目がけて突いた。彼女の変に引きつれた笑い顔と、白く光って細い指の可愛く素早しっこい小突き方は、妙に邪険で、男達をわあーと後へ二三歩飛び去らせた。男達は息を呑んだ。でもワルトンは、小癪《こしゃく》に触って不満そうに停って居るジョーンより前方へ進み出て、右腕を伸し人差指を剣のように前へ突き出し、左腕を上へ直角に曲げ、決闘の型でアイリスに迫った。
 ――さあ、我れこそはドンキホーテ、いざ一本参らん。
 ワルトンの今までの経験に依ればアイリスは可なり複雑な性格の女に思えた。時折り彼は彼女をどう扱ってよいか解らなかった。今も彼はアイリスが変にいこじで意地悪な雌《めす》に見えた。彼女は、また今のワルトンを非常に出過ぎ者で洒落臭《しゃらくさ》く感じた。
 ――何を失礼な、姫君に向って。
 アイリスは陽の斜光を背に向けて身構えた。
 陽に透けて白髪のように見える淡黄色の髪にぼかされ、彼女の顔は細長く凹んで見える。ワルトンの人差指が、狙《ねら》って来る蛇のようにアイリスの咽喉先きに迫ると、彼女は不意の圧迫に堪えられなくなった。
 ――嫌やよ、気持ちが悪い。ジョーンとやりなさい。
 そう言って、アイリスはくるりと向きを変え、決闘場跡の芝生の向う側まで駈けて行った。彼女は二人の男達が近づいても、其処にぼんやり停って足下の芝草を見て居た。が、やがて又唐突に男達の顔を代る代る等分に見並べた。そして探るように言った。
 ――あんた達、決闘をやって御覧。
 彼女は遥《は》る遥《ば》るロンドンの下町から地下鉄やバスに乗って、此の男達に連られて来たのであった。乗換えや色々で小一時間の行程と、絶えず左右から挟まれて感ずる異性の漠然とした刺戟のために、彼女は可なり疲れて居た。露骨なワルトンよりも落ち付いて鷹揚《おうよう》そうに見えるジョーンから寧《むし》ろ彼女は重苦しい圧迫を受けて居た。兎《と》も角《かく》、彼女は疲れた。男達を暫し離し度くなった。然《しか》し男達が全く彼女からすっかり離れてしまっても彼女は淋しくて堪えられまい。彼女は男達を少し離れた彼女の傍に置きたかった。男達の注意を余り彼女に向けないように、而《しか》も、男達が全く彼女に無関心になり切らない程度で――兎に角、アイリスは一息つきたかった。芝草の上に坐って大きな楽な呼吸が五ツ六ツしたかった。それから眼を瞑《つむ》って、草の軟かな香りを嗅ぎながら何か心を整えて呉れる考えに自分を
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