よう。
 そう言ってジョーンの両肩をゆすぶった。気抜けして全関節が無抵抗になったジョーンの体を、ワルトンはごつごつと押し曲げたり、引き寄せたりした。ジョーンは危なく倒れそうになって逆に緊張した。その緊張は相手の攻撃を増加させて、また一層緊張した。ジョーンは受身|許《ばか》りでは居られなかった。ジョーンの肉は先ず反撥的に屈伸した。やがて二人の男の肉は、怒った骨につっ張られて劇《はげ》しく衝突した。湿気を含んで柔らかな芝土は、男達の奮張《ふんば》る四つの靴で押し込まれ、跳ね返った。透明な芝草がよじれて引っちぎられて、飛び立つ羽虫のように飛んだ。
 青年の生一本の競争慾は、いい加減で中止出来なかった。力闘は益々劇しくなって行った。縺《もつ》れ合う肉と肉との間から、突然叫びが起った。続いて他の叫びが相応じた。
 ――あ、此奴。
 ――おや、拳闘で来るか。
 二人は弾《はじ》かれたように取っ組んだ両手を離した。改めて二人は互の顔を見た。許すまじき忿怒《ふんぬ》の相を認め合って殺気立った。遂《つい》に劇しい素手の拳闘が始まってしまった。二人は遂に到着すべきところに、まっしぐらに飛びかかって行った。飛びかかり飛びすさりしながら、募る恨みと憎しみに、二人は腕を張り切らせて遮二無二相手に投げ付けた。――これでもか、俺の呪いと憎みを知れ――と、双方の一つ一つの拳が嘆いて喰らいつく。それは肉体の打撃や痛みに止まらなかった。身に滲み渡る痛みによって二人は二人の底意を読んだ。盛り上る血肉の力闘の勢いに押されて彼等は互に対する平常の気持ちの我慢を突き破った。アイリスを中に挟んで日頃潜在して居た二人の憎悪が表面切って燃え立った。
 ジョーンの父は庭師《ガードナー》であった。近頃では彼の父のお顧客はロンドンの西郊の方にばかり殖えた。欧洲の何処の都会でもそうであるように、ロンドンでも東端は貧民街であった。立派な邸宅を持つ富豪は西へ、西南へと居を移した。ジョーン達の住んだロンドン東端の借屋は、余り遠くお顧客の庭から離れてしまった。で彼等は先月初めに西端の或る横町へ引越さねばならなかった。その方がジョーンの父にとっては非常に都合がよかった。引越しでジョーンは近所のアイリスと離れて住まねばならなかった。それはジョーンを一寸淋しそうにも思わせたが、又何となく楽しいアイリスとの別居のようにも仮想させた。彼は下
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