《しゅういつ》の魚を出しかけた気配が記録によって覗《うかが》えることである。そして、そこに孕まれた金魚に望むところの人間の美の理想を、推理の延長によって、計ってみるのに、ほぼ大正時代に完成されている名魚たちに近い図が想定された。とはいえ、まだまだ現代の金魚は不完全であるほど昔の人間は美しい撩乱をこの魚に望んでいることが、復一に考えられた。世は移り人は幾代も変っている。しかし、金魚は、この喰べられもしない観賞魚は、幾分の変遷《へんせん》を、たった一つのか弱い美の力で切り抜けながら、どうなりこうなり自己完成の目的に近づいて来た。これを想うに人が金魚を作って行くのではなく、金魚自身の目的が、人間の美に牽かれる一番弱い本能を誘惑し利用して、着々、目的のコースを進めつつあるように考えられる。逞ましい金魚――そう気づくと復一は一種の征服慾さえ加っていよいよ金魚に執着して行った。
夏中、視察に歩いて、復一が湖畔の宿へ落付いた半ケ月目、関東の大震災《だいしんさい》が報ぜられた。復一は始めはそれほどとも思わなかった。次に、これはよほど酷《ひど》いと思うようになった。山の手は助《たすか》ったことが判った
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