った。殊《こと》に美しい恋妻を亡くした後の鼎造には何か瓢々《ひょうひょう》とした気持ちが生れ、この生物にして無生物のような美しい生きもの金魚によけい興味を持ち出した。
「江戸《えど》時代には、金魚飼育というものは貧乏《びんぼう》旗本の体《てい》のいい副業だったんだな。山の手では、この麻布《あざぶ》の高台と赤坂高台の境にぽつりぽつりある窪地で、水の湧くようなところには大体飼っていたものです。お宅もその一つでしょう」
 あるとき鼎造にこういわれると、専門家の宗十郎の方が覚束《おぼつか》なく相槌《あいづち》を打ったのだった。
「多分、そうなのでしょう。何しろ三四代も続いているという家ですから」
 宗十郎が煤《すす》けた天井裏《てんじょううら》を見上げながら覚束ない挨拶《あいさつ》をするのに無理もないところもあった。復一の育ての親とはいいながら、宗十郎夫婦はこの家の夫婦養子で、乳呑児《ちのみご》のまま復一を生み遺《のこ》して病死した当家の両親に代って復一を育てながら家業を継《つ》ぐよう親類一同から指名された家来筋の若者男女だったのだから。宗十郎夫婦はその前は荻江節《おぎえぶし》の流行《はや》ら
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