上り、鼻筋が通って、ちょっと頬骨が高く男性的の人体電気の鋭そうな、美青年の紳士《しんし》であった。ある日曜日の朝のうち真佐子と女の子を連れて、ロマネスクの茶亭へ来て、外字新聞を読んだりしていた。その時すぐ下の崖の中途の汚水の溜りから金魚の餌のあかこ[#「あかこ」に傍点]を採って降りようとした復一がふとそこを見上げたが、復一はそれなり知らぬ振りでさっさと崖を降りてしまった。それを見た真佐子はそこに夫と居ながら、二人一緒に居るのが何だかうしろめたかった。
「いいじゃないか。なぜさ」
 と夫は無雑作に云った。
「だって、ここで二人並んで居るのをどこからでも見えるでしょう」
 と真佐子は平らに押した。
「どうして君とおれと、ここに居るのが人に見えて悪いのかね」
 夫の言葉には多少嫌味が含んでいるようだ。
「何も悪いってことありませんけど、谷窪の家の人達から見えるでしょう。あの人まだ独身なんですもの」
「金魚の技師の復一君のことかね」
「そうです」
 すると夫はやや興奮して軽蔑的に
「君もその人と結婚したらよかったんだろう」
 すると真佐子は相手の的から外れて、例の漂渺とした顔になって云った。
「あたしは、とても、縹緻好みなんですわ。夫なんかには。そうでないと一緒《いっしょ》にご飯も喰べられないんです」
「敵わんね。君には」怒《おこ》ることも笑うことも出来なくなった夫は、「さあ、お湯にでも入ろうかね」と子供を抱いて中へ入って行った。
 そのあとのロマネスクの茶亭に腰掛けて真佐子は何を考えているか、常人にはほとんど見当のつかない眼差《まなざ》しを燻《くゆ》らして、寂しい冬の日の当る麻布の台をいつまでも眺めていた。

「鯉と鰻の養殖がうまく行かないので、鼎造、この頃四苦八苦らしいよ。養魚場が金を喰い出したら大きいからね」
 築けども築けども湧き水が垣《かき》の台を浮かした。県下の半鹹《はんかん》半淡《はんたん》の入江の洲岸に鼎造はうっかり場所を選定してしまったのであった。その上都会に近い静岡県下の養魚場が発達して、交通の便を利用して、鯉鰻《りまん》を供給するので、鼎造の商会は産魚の販売にも苦戦を免れなかった。しかし、痛手の急性の現われは何といっても、この春財界を襲った未曾有《みぞう》の金融《きんゆう》恐慌《きょうこう》で、花どきの終り頃からモラトリアムが施行《しこう》された。鼎造
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