それで近頃イギリスの官憲が斯《こ》ういう独逸人を間諜《かんちょう》じゃないのかと疑い出し、我が国の外務省も気兼ねをしながら、印度入りの旅券を下附してくれますが、イギリスの領事館で上陸許可の査証を仲々くれません。
然し私は決心しているのです。裏の方から通って行っても屹度印度へ入るつもりです。そこで私の生涯を葬《ほうむ》ることに成功するつもりです」
私はベックリン青年の語る言葉を聴くうちに、途中で二度も三度も「まあ、ちょっと、待って」と叫びかけた。青年が「仏教、仏教」と口で言い、心に思い込んで居る考えは、決して仏教ではなかった、否、却って教主釈尊より弾呵《だんか》を受ける資格のある空亡外道《くうぼうげどう》の思想であった。
だが、私は、私に対して近頃珍らしい同信者と見て奔河の流れのように自己を語る青年の満足さを見ては、押しても彼の言葉を妨げることは出来なかった。彼の言葉のスピードに私の言葉は弾ね飛ばされもしたのだった。
私は此の地へ来るまでに倫敦《ロンドン》の仏教協会員とか、その他の欧洲人で仏教に興味を持つという人々とかに出会い、如何に彼等が小乗趣味の嗜好者であり、滅多に大乗教理を受け付けそうもない素質的のものであるかを根本に感じ、今更ながら現実肯定の仏教が、その思想が高遠であるだけそれだけ西洋人の宗教概念とは相容れず、うっかりすれば単なる厭世教に取られそうな気配いさえ見ゆるのに危険を覚えて慎しみを持つようになって居た。西洋人に大乗教理を説くのは余程の基礎知識の準備を与えて、さてそれから後のことだと思ったのであった。
もう一つは私は教役者ではない。私は仏教の鳥だ。うたうのだ。ただそれだけでいい。若《も》し万一、私の如き者が仏教を筋道立てて講ずるのを必要とする場合が来たら、私は先《ま》ずわが同胞に説こう。それが私に許されねばならぬ唯一の好みだ。それから先は兎にも角にもである。
それや、これやがあるので私は、挟み込めない私の言葉をそのまま無駄にして、終いには寧《むし》ろ青年が快く話し得られるように仕向ける態度を取った。青年は心置きなく語ったようだ。停車場には伯林行きの汽車が着く頃になったと見え、ちらほら乗客の姿が入口に溜って見えた。青年は勘定書を持って来るとき急いで言った。
「ただ一つ伺い度いのは愛の問題です。疲れた者にも愛だけは断ち切れません。寧ろ精神肉体の中
前へ
次へ
全8ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 かの子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング