道子はわれ知らず顔をほころばした。こんなことってあるかしらん――道子は夢のような気がした。夢なら醒めないうちにと手早く身支度《みじたく》をし終って表へ出た。寒風の中を一散に堤防目がけて走った。――今夜は二日分、往復四回駆けてやる――
 道子は堤防の上に駆け上って着物を脱いだ。青白い月の光が彼女の白いアンダー・シャツを銀色に光らせ、腰から下は黒のパンツに切れて宙に浮んだ空想の胸像の如く見えた。彼女は先ず腕を自由に振り動かし、足を踏んで体ならしを済ました。それからスタートの準備もせずに、いきなり弾丸のように川上へ向って疾走した。やがて遥かの向うでターンしてまた元のところへ駆け戻って来た。そこで狭い堤防上でまたくるりとターンすると再び川上へ向って駆けて行った。
 このとき後から追っかけて来た父親は草原の中に立って遥かに堤防の上を白い塊が飛ぶのを望んだ。
「あれだ、あれだ」
 父親は指さしながら後を振り返って、ずっと後れて駈けて来る妻をもどかしがった。妻は、はあはあ言いながら
「あなたったら、まるで青年のように走るんですもの、追いつけやしませんわ」
 妻のこの言葉に夫は得意になり
「それ
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