》に見た。これも昔見た友の癖である。


 かの女は女学校を卒業して親の家で結婚前の生活をしてゐる期間に、望まれて父親の知合ひで郊外に隠寮を持つ退職官吏Yの家へ客分として預けられることになつた。
 退職官吏Yの考へでは、自分の蒐集品《しゅうしゅうひん》の殊《こと》にこまかい細工ものゝ昔人形や、壊れものゝ陶《すえ》もの類は、骨董《こっとう》美術品商の娘であるかの女の馴《な》れて丹念な指先が、手入れ保存に適当だと思つたからであつた。かの女の父はまたかの女がたとへ富んだ老舗《しにせ》の長女でも、下町の娘であるからには躾《しつ》けに至らぬ我儘《わがまま》なところがあらう。一度は上層智識階級の家へ入れて見習はしたいといふ昔風の考へがあつた。雪子の父はなまじなよその夫人よりY家の主人を非常に厳格な躾け正しい人と信じてゐたから……
 かの女はちよつとした嫁入支度ほどの調度を持つて、Yの隠寮へ寄寓した。


 あてがはれた庭向きの客座敷の隣の八畳へ調度を収めて、女らしい部屋にしてかの女は落着いた。家長のYは、かの女が落着くとすぐ部屋に兵児帯《へこおび》をちよつきり結びにした大兵《だいひょう》の体を唐突に運び入れて来て、衣桁《いこう》にかけた紅入りの着ものや、刺繍《ししゅう》をした鏡台の覆ひをまじ/\と見て、
「娘の子を一人持つたやうだ」
 これが精一杯のお世辞の挨拶《あいさつ》だといふやうに、ぶつきら棒に云つた。そして直ぐ椽《えん》から盆栽棚のたくさん並んでゐる庭へ下りて行つた。
 その後はYは一度も部屋に見舞つて来なかつた。そしてとても仕切れないほどの所蔵品の手入れを命じたり、観賞するためにあれこれと蔵から出し入れさせられて煩《うる》さかつた。彼は偏執症の蒐集慾以外に精力を使ふことを絶対に嫌つた。早く妻に訣《わか》れてからは、異性には全然関心を持たなかつた。それは彼の最も世の中で価値ありとする品とか気位とか悧巧《りこう》とかを誑惑《きょうわく》する魔性《ましょう》のものに外《ほか》ならなかつた。たゞ彼は気短かになつて、しば/\癇癪《かんしゃく》を起した。それらの性癖の諸点が却《かえ》つて彼を厳格端正に表面化させたのだと雪子はYに就いての世評の裏を知つた。


 何にでも極度に好き嫌ひをつけるYは、自分の息子兄弟にもそれをした。弟息子の梅麿《うめまろ》は父の唯一の寵児《ちょうじ》だつた。彼はやゝ下膨《しもぶく》れの瓜実顔《うりざねがお》の、こんもり高い鼻の根に迫らぬやう切れ目正しくついてゐる両眼の黒い瞳に、長い睫毛《まつげ》を煙らせて、地を見入つてゐるときには、何を考へてゐるか誰も察しがつかなかつた。桐《きり》の花のやうに典雅でつくねん[#「つくねん」に傍点]とした美しさが匂つた。声も鋭さを鞣《なめ》して楽しい響きを持つてゐた。彼はいつでも不機嫌に近く黙つて孤独で、地へ向けて長い睫毛を煙らせてゐた。雪子は新しく家族の仲間に加はつた自分に対し、若い女性に対し、何の影響をも示さないこの少年に、焦立《いらだ》たしさと、不満を含まないわけにはゆかなかつた。
 だが、その美しさには雪子も呆然《ぼうぜん》として息を吐いた。父は梅麿を自分の蒐集物《しゅうしゅうぶつ》の愛玩《あいがん》品の中に数へ、しかもその中で最も気に入つた一つのものゝやうに、書斎で、庭で、二人は大概一緒だつた。そして父はこの息子に下手《したて》からお世辞を使ふ態度を取つてゐた。梅麿は父がお世辞を使ふ気持を見抜いて、とぼけて悠々とお世辞を使はれてゐた。だが決して調子に乗らなかつた。そして、父が理由もなく癇癪《かんしゃく》を起しかけて来ると、少女よりやゝしつかりした綺麗《きれい》な唇を嬌然と笑みかけて、あどけないことを云つたり、親を煽《おだ》てたり、他人の悪口を云つたり、およそ父の弱点が喜びさうなところを衝《つ》いて、素知《そし》らぬ顔で父の気分を持ち直させることに、気敏《けざと》い幇間《ほうかん》のやうな妙を得てゐた。
 雪子はいやらしいと思ふ以上に、その技巧の冴《さ》えに驚嘆した。だが、梅麿は父以外にはその手は絶対に使はなかつた。
 父の気紛れが、面白くない仕辛《しづら》い仕事を望むときには、梅麿はすーつと脇へ除《よ》けた。夜中に急に風呂を沸かさせたり、椽《えん》の下の奥に蔵《しま》つてある重いものを取出さしたり――さういふときには兄の鞆之助《とものすけ》が、ぶつ/\いふ召使を困りながら指揮して、その衝《しょう》に当つた。
 父はこのことを知つてゐて、
「梅は狡《ずる》いやつだ」
といつて笑つたが、その狡さが気に入つてもゐた。
 兄の鞆之助は反対に調法の外《ほか》、何から何まで、父の気に入らなかつた。父は兄息子の顔を見るとむつと黙つて仕舞《しま》ふか、癇癪を浴せかけた。命令通り出来上つた
前へ 次へ
全6ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 かの子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング