に手をかけ乍ら桂子が振り仰ぐと、「程君画房」といふ新しい標札がかゝつてゐる。字は小布施の洋画家風の筆蹟である。その雨湿りが乾いたばかりの標札を見上げた時、桂子は何か直覚的に、はあ、また体の工合がよくないのだなと思ふ。
不遇傲岸に見える小布施は、案外、時流に神経質で、十六七年も前桂子と同門で矢来町のY――先生の画室に預けられてゐた時分から、逐次独立するまで、後期印象派、ダヾ、表現派、新古典、超現実派と、およそ日本で尖端的に見える画風は魁けしてこれを取り入れ、通俗派の方面にぶつかつて行つた。
桂子は常住青年らしい闘志を失はない彼に敬服したが、彼自身何ものをも掘り下げ得ない浮いた忙しさを危んだ。そこにはまたさういふモダンを取り入れて詩[#「詩」に「ママ」の注記]示することを意識した彼自らの慊厭の気持が、人を揶揄した筆つきや、どす黒い色調で観者に逆襲してゐた。世間は戸惑つて、彼を将来ある未完成の画家の範疇にあつさり片付けた。勿論売れる絵ではない。
体質に伏在してゐた結核性がいよ/\肺を冒し出すやうになつてから、小布施の焦燥が増すのに桂子は気づいた。
「私は、お金がはいるうちは、生活を保証
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