してやつた。自分の相手の他人行儀を庇つて、つい他人行儀に振舞ふのを不思議に思ひながら。
 せん子のいふところによると、小布施の経過はあまりよくなかつた。結核患部にX光線をかけて貰ふのが唯一の頼みであるのを、小布施はどうしても専門病院に入院を肯じないといふのである。
 毎朝鶏の鳴く頃になると、腹の患部は激しく痛み出す。
「痛むときは泣き笑ひしながら、茶を飲んで死ぬるばかりだ、ときまつて仰云るのよ。心細いたらありやしません。けども、あんな立派な体格をして、あたし、絶対そんなこと信じられないわ」
 必ず自分の熱誠で男を助けて見せるといふ哀切な息使ひが、せん子の言葉以上に桂子を刺戟した。いままで恋愛ではないと云つてゐた小布施と桂子の交情に、桂子が顧みていくらか忸怩としてゐたことは、男からの体臭的慰安だつた。小布施の普通より大柄の体格が、ネルのやうに柔い乾草のやうに香ばしい体臭を持つてゐた。彼の持病持ちの体質の弱点から薫じ出るものらしい。それは必ずしも、傍に居ずとも頭に想ふだけで、桂子は心が和《なご》められた。小布施の体臭からうけるこの影響は、時間も距離も超越してゐた。桂子は殆ど地球の裏と表とに
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