花は勁し
岡本かの子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)少時《しばらく》の文人たち
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)祥瑞|模《うつ》しの皿に
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)けはひ[#「けはひ」に傍点]をうけて、
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ぽろ/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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青みどろを溜めた大硝子箱の澱んだ水が、鉛色に曇つて来た。いままで絢爛に泳いでゐた二つのキヤリコの金魚が、気圧の重さのけはひ[#「けはひ」に傍点]をうけて、並んで沈むと、態と揃へたやうに二つの顔をこちらへ向けた。うしろは青みどろの混沌に暈けて二ひきとも前胴の半分しか見えない。箱のそとには黄色い琥珀の粒の眼をつけた縞馬の置物が、水粒が透けて汗をかいたやうな硝子板に鼻を擦りつけてゐる。
箱の蓋の上に置いてある鉢植のうす紅梅がぽろ/\散つて、逞しい蕊が小枝に針を束ねたやうに目立つ。
新興活花の師三保谷桂子は、弟子の夫人や令嬢たちが帰つたあとで、材料の残りの枝を集めて、自分だけ慰みの活花をずんどう[#「ずんどう」に傍点]に挿して、少時《しばらく》眺め入つてゐたが、俄に変つて来た空の模様を硝子戸越しに注意しながら、少しの天候の変化からもぢきに影響される金魚の敏感な様相を観まもつた。
空の模様はます/\険悪になり、しぶき始めた雨と一緒に光り出した稲妻の尖端が、窓硝子を透して座敷の中の炭炉にさした。
「金魚、縞馬、花、稲妻――まるで幻想詩派《サンボリスト》の文人たちの悦びさうなシーンだね」
落ちついて水を持つて来た姪のせん子に、聞かせるといふほどの意志もなく桂子はいつた。
それから桂子は、桂子がフランスを発つて来る間際まで、世紀末生残りの詩人が、まだ飽きずにこんな感じの詩を作つてゐたことを、ちよつとの間、憶ひ出してゐた。
未完成のまゝ花器の根元を持つてそつと桂子が押しやつたずんどう[#「ずんどう」に傍点]の花活《はないけ》へ、水を差しながらせん子がいつた。
「先生けふは三十日――あしたは晦日――今夜でも小布施さんにお金を持つてつてあげないぢや」
小布施は桂子の遠い親戚の息子で、もと桂子が画を習つてゐた時の同門でもあつた。不遇で病弱で、長く桂子に物質的
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