補助をうけてゐる画家であつた。
桂子は花の屑を包んで膝かけを外しながら、いつも病気勝ちな小布施に何かにつけて気を配るせん子をいぢらしいと思つた。ひよつとしたら内心、小布施を愛してゐるのかも知れない。桂子はそれから襟元を少し掻き寛げ、右手の拇指を右の前脇の帯に突き込んで扱くと同時に、体格のいゝ胴を捻つた。博多の帯がきし/\鳴つた。
「あゝ窮屈だつた。お弟子達には行儀よくしてなくちやならないから辛いね。せん子、お茶でも持つて来ておくれ」
茶室造りの畳の根太の下に響いて、やゝ烈しい雷鳴が一つしたあとは、ずつと音響が空の遠くへ退いて行つた。桂子は、姪でも内弟子でもあるせん子を相手に麦落雁を二つ三つ撮んでから漆塗りの巻絵の台に載つてゐる紙包の嵩をあつさり掴んだ。これは今日の弟子達が置いて行つた月謝の全部だ。桂子はそれを袱紗に包んで、
「どれ、若い恋人に会ひに行かうかね」
なかばせん子の気を牽きながらかういつた。
せん子はまはりを見廻して眉を顰めた。
「冗談にもそんな云ひ方はよくありませんわ。人聴きが悪い……」
その声には、伯母でもあり先生でもある桂子の身の上を憶ふ、純粋な響きだけだつた。
「ひとり身の女がこんな口を利くやうになるのはよく/\のことよ」
いくらか桂子は悵然とした口調でかういつた。
だが空が和んで来て生毛のやうに柔く短く截れて降る春雨を傘に凌いで、内玄関から出て行くときには、桂子は均斉のとれた大柄な身体を、何の蟠りもなくすつくりと伸して、昼間は人目につくと云つて小布施を訪ねるのをとめだてするせん子を見返つて、
「昼間堂々と行く方が、世間の噂に逆襲をして却つていゝんだよ」といつた。
せん子は今更ながら美しい若い伯母の優しい気立てのなかに、どんな苦労も力強く凌いで行く精神力の潜むのを感じ、それをそのまゝ現はしてゐるやうな桂子の後姿を、信頼の眼差で見送つた。それから自分にもその元気が移りでもしたやうな張つた声で、勝手元の方を向いて云つた。
「ばあや、前庭の桃葉珊瑚《あをき》に実が一ぱいついてるよ。青い葉の間に混つて青い実がついてるものだから、まるで気がつかなかつたわ。」
活溌な足音がして内弟子の桑子と書生が、婆やより先にせん子の佇つてゐる洋館の内玄関の扉口の方へ駈けて来た。
桂子は邸宅と商家と肩を闘はして入れ混つてゐる山手の一劃から、窪地へ低まつ
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