じなひ》」だといつて、活け剰りの花を口に銜へ、腰に手を当てゝ、映画に出て来るジヨルヂユ・サンドのやうな気取つた恰好で濶歩するのが一時流行つて、やがて廃れたが――。
 桂子は坂の上り口から雨上りの人少なの一筋道に遠見がついて、その両側に邸宅が稀で、新旧の商家がずらりと、行人に対して好奇心に貪慾な大小の口のやうな店先を開けて待ち受けてゐるのを見渡すと、今更たぢろぐ思ひが湧く。小布施へ通ふ桂子の噂がこゝらに一ぱい拡がつてゐるのを、かねて桂子は知つてゐた。桂子を敵視する同業者の家もあつた。ふと、あのK――女史が書いて呉れた詞句のやうに、花の茎でもぎつちり糸切歯と糸切歯の間に噛み締めて歩いて行くなら、この惧れに堪へられさうに思へた。一時の間でも花に離れてはならない。彼女は肩を一つ揺つて、また、肉体の雄勁な感覚から自信を取り出して、真直ぐに歩きだした。


 入口に俥止の杭が打つてある、質素な住宅地の太く通つてゐる筋の道路を右に切れ込んだ角から二軒目に、小布施の住居があつた。下は日本間になつてゐて、二階は画室になつてゐた。
 金目《かなめ》黐垣の抽き過ぎて出た芽を、二つ三つ摘み捨てゝ、松材の門の扉に手をかけ乍ら桂子が振り仰ぐと、「程君画房」といふ新しい標札がかゝつてゐる。字は小布施の洋画家風の筆蹟である。その雨湿りが乾いたばかりの標札を見上げた時、桂子は何か直覚的に、はあ、また体の工合がよくないのだなと思ふ。
 不遇傲岸に見える小布施は、案外、時流に神経質で、十六七年も前桂子と同門で矢来町のY――先生の画室に預けられてゐた時分から、逐次独立するまで、後期印象派、ダヾ、表現派、新古典、超現実派と、およそ日本で尖端的に見える画風は魁けしてこれを取り入れ、通俗派の方面にぶつかつて行つた。
 桂子は常住青年らしい闘志を失はない彼に敬服したが、彼自身何ものをも掘り下げ得ない浮いた忙しさを危んだ。そこにはまたさういふモダンを取り入れて詩[#「詩」に「ママ」の注記]示することを意識した彼自らの慊厭の気持が、人を揶揄した筆つきや、どす黒い色調で観者に逆襲してゐた。世間は戸惑つて、彼を将来ある未完成の画家の範疇にあつさり片付けた。勿論売れる絵ではない。
 体質に伏在してゐた結核性がいよ/\肺を冒し出すやうになつてから、小布施の焦燥が増すのに桂子は気づいた。
「私は、お金がはいるうちは、生活を保証
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