能を追い求めることに熱中した時代であって、この主流に対比しては、いよいよ紫苑氏の詩風は古臭く索漠に見えた。それでも氏の詩作は続けられていた。そのうち、ふと消えた。二三年してから僅《わず》かに三四篇また現われた。それは、「飛魚」とか「貿易風」とかいう題の種類のもので、いくらか詩風は時代向きになったかと感じられる程度のことが、却《かえ》って詩形をきごちなくしていた。詩に添えて紫苑氏が南の外洋へ旅に出た消息が書き加えられてあった。しかし、その後に紫苑氏の詩は永久に見られなくなった。
この新嘉坡邦字雑誌の社長が、当年の詩人紫苑氏の後身であった。私は紫苑氏の後身の社長が、その携っている現職務上土地の智識に詳しかろうということも考えに入れたが、その前身時代の詩にどこか人の良いところが見えたのを憶《おも》い出し、この人ならば安心して、なにかと手引を頼めると思った。
「ともかく、私が日本を出発するときの気慨は大変なものでしたよ。白金巾《しろかなきん》の洋傘に、見よ大鵬《たいほう》の志を、図南《となん》の翼を、などと書きましてね。それを振り翳《かざ》したりなんかしましてね……今から思えば恥かしいような
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