の近くで焚火をしている。稲荷の祠《ほこら》も垣根も雪に隈取《くまど》られ、ふだんの紅殻《べんがら》いろは、河岸の黒まった倉庫に対し、緋縅《ひおど》しの鎧《よろい》が投出されたような、鮮やかな一堆《いったい》に見える。河川通のこの家の娘は、この亀島川は一日の通船数が三百以上もあり、泊り船は六十以上で、これを一町に割当てるとほぼ十艘ずつになると云ったが、今日はそういう河容とは、まるで違ったものに見える。
 そして、私が心を奪われたのは、いよいよ、そういう現象的の部分部分ではなかった。ふだんの繁劇な都会の濠川《ほりかわ》の人為的生活が、雪という天然の威力に押えつけられ、逼塞《ひっそく》した隙間《すきま》から、ふだんは聞取れない人間の哀切な囁《ささや》きがかすかに漏れるのを感ずるからであった。そして、これは都会の人間から永劫《えいごう》に直接具体的には聞き得ず、こういう偶々《たまたま》の場合、こういう自然現象の際に於て、都会に住む人間の底に潜んだ嘆きの総意として、聴かれるのであった。この意味に於て、眼の前見渡す雪は、私が曾《かつ》て他所《よそ》の諸方で見たものと違って、やはり、東京の濠川《ほり
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