た。そのあと、ローンジでお茶を飲みながら
「面倒臭いじゃありませんか、そんなこといつまでもぐずぐず云ってたって……そんなこと云って、その人が陸へ寄りつかないなら、こっちから私があなたを連れて、その人の寄る船つきへ尋ねて行き、のっぴき[#「のっぴき」に傍点]させず、お話をつけようじゃありませんか」
私も東京生れで、いざとなると、無茶なところが出るのだが、それよりもこの得態の知れない男女関係の間に纏縛《てんぱく》され、退《ひ》くに退《ひ》かれず、切放れも出来ず、もう少し自棄気味《やけぎみ》になっていた。
すべてが噎《むせ》るようである。また漲《みなぎ》るようである。ここで蒼穹《あおぞら》は高い空間ではなく、色彩と密度と重量をもって、すぐ皮膚に圧触して来る濃い液体である。叢林《そうりん》は大地を肉体として、そこから迸出《ほうしゅつ》する鮮血である。くれない極まって緑礬《りょくばん》の輝きを閃《ひらめ》かしている。物の表は永劫《えいごう》の真昼に白み亘《わた》り、物陰は常闇世界《とこやみせかい》の烏羽玉《うばたま》いろを鏤《ちりば》めている。土は陽炎《かげろう》を立たさぬまでに熟燃している。空気は焙《あぶ》り、光線は刺す――――――
私と娘は、いま新嘉坡《シンガポール》のラフルス・ホテルの食堂で昼食を摂《と》り、すぐ床続きのヴェランダの籐椅子《とういす》から眺め渡すのであった。
芝生の花壇で尾籠《びろう》なほど生《なま》の色の赤い花、黄の花、紺の花、赭の花が花弁を犬の口のように開いて、戯《ざ》れ、噛《か》み合っている。
「どう」私は娘に訊いた。
「二調子か三調子、気持ちの調子を引上げないと、とてもこの強い感じは受け切れないわ」と娘は眼を眩《まぶ》しそうに云った。娘は旅に出てから、全く私に倚《よ》りかかるようになっただけ、親しくぞんざいな口が利けるようになった。
私には、あまりに現実に乗出し過ぎた物のすべてが、却《かえ》って感覚の度に引っかからないように、これ等の風物が何となく単調に感じられて眠気を誘われた。
「半音の入っていない自然というものは、眠いものね」
私は娘が頸《くび》を傾けて、も一度訊き返そうとするのを、別に了解して欲しいほどの事柄でもないので、他の事を云った。
「兎《と》に角《かく》、熱いわね。こういう所で、ランデヴウする人も、さぞ骨が折れるでしょうが、そのランデヴウを世話する人は、いよいよ並大抵じゃないわね」
私は揶揄《からか》いながら、横を向き、ハンカチを額へ持って行って、滲《にじ》み出す汗を抑えた。
娘は真身《しんみ》に嬉しさを感ずるらしく、ちょっと籐椅子を私の方へいざり寄せ、肘《ひじ》で軽く私の脇《わき》の下を衝《つ》いた。
私は娘の身の上を引受けてから、若い店員と話をつける手段を進めた。丁度ボルネオの沿岸を航行していた船の若い店員に手紙と電報で事情の経緯を簡単に述べ、あらためて、私が仲に立つ旨を云い遣《や》ると、店員からは案外喜んだ承諾の返事が来て、但《ただし》、いま船は暹羅《シャム》の塩魚を蘭領印度《らんりょうインド》に運ぶために船をチャーターされているから、船も帰せないし、自分も脱けられない。新嘉坡《シンガポール》なら都合出来る。見物がてら、ぜひそこへ来て貰い度《た》いと、寧《むし》ろ向うから懇請するような文意でもあった。
私は娘にはああは約束したが、たかだか台湾の基隆《キールン》か、せめて香港《ホンコン》程度までであろうと予想していた。そこなら南洋行きの基点ではあり、双方好都合である。新嘉坡となると、ちょっと外遊するぐらいの心支度をしなければならない。
――少し当惑しているとき思いの外力になったのは叔母である。娘のとき藩侯夫人の女秘書のようなことをして、藩侯夫妻が欧洲の公使に赴任するとき伴われ、それから帰りには世界の国々をも廻《まわ》って来た女だけに、自分の畑へ水を引くように、私を励ました。
「あんたも一遍そのくらいのところへ行っていらっしゃい。すると世間も広くなって、もっと私と話が合うようになりますから」
それから、女二人の旅券だの船だの信用状だのを、自分一人で掻《か》き込むようにして埒《らち》を開け、神戸まで見送って呉《く》れた。
シンガポール邦字雑誌社の社長で、南洋貿易の調査所を主宰している中老人が、白の詰襟服《つめえりふく》にヘルメットを冠《かぶ》って迎えに来て呉れた。朝、船へは紋付の和服で出迎えて呉れたのであるが、そのときに較《くら》べて、いくらか精気を帯びて見えた。
「名物のライスカレーはいかがでしたか。とても辛くて内地の方には食べられないでしょう」
私は昼の食堂で、カレー汁の外に、白飯に交ぜる添菜《てんさい》が十二三種もオードゥブル式に区分け皿に盛られている
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