用向きを話そうとする、その間に私の洋傘を持ち仕事鞄《しごとかばん》を提げている、いくらか旅仕度にも取れる様子を見て取ったらしい娘は
「あ、判りました。部屋をお見せいたすのでしょう」といったが「けれども……あんな部屋」とまた云って私と向う側の貸間札のかかっている部屋の硝子扉を見較《みくら》べた。私はやや失望したが、この娘に対して少しも僻《ひが》んだり気おくれはしない「……あのとにかく見せて頂けないでしょうか」すると娘はまたはっきりした笑顔になり
「では、とにかく、」と云ってそこにある麻裏草履《あさうらぞうり》を突かけて、先に立った。
 三階は後で判ったことだがこの雑貨貿易商である娘の店の若い店員たちの寝泊りにあててあり、二階の二室と地階の奥の一つ、これも貸部屋では無かった。たった一つ空いているといい、私に貸すことの出来るという部屋は、さっき私が覗いた道路向きの事務室であった。
 私が本意なく思って、「書きもののための計画」のことを少し話してみると、娘はちょっと考えていたが
「よろしゅうございます。じゃ、こちらの部屋をお貸しいたしましょう」と更《あらた》めて決心でもした様子でそれと背中合せの、さっき塞《ふさが》っているといった奥の河沿いの部屋へ連れて行った。
 その部屋は日本座敷に作ってあって、長押附《なげしつ》きのかなり凝った造作《ぞうさく》だった。「もとは父の住む部屋に作ったのでございます」と娘はいった。貸部屋をする位いなら、あんな事務室だけを択って貸さずにこの位の部屋の空いているのを何故貸さないのかと私はあとでその事情は判ったけれどその時は何も知らないので不審に思った。
 ともかく私は娘の厚意を嬉《よろこ》んでそして
「では明日からでも、拝借いたします。」
 そう云って、娘に送られて表へ出た。私はその娘の身なりは別に普通の年頃の娘と違っていないが、じかに身につけているものに、茶絹で慥らえて、手首まで覆っている肌襯衣《はだシャツ》のようなものだの、脛《すね》にぴっちりついている裾裏《すそうら》と共色の股引《ももひき》を穿《は》いているのを異様に思った。私がそれ等に気がついたと見て取ると、娘は、
「変って居りまして。なにしろ男の中に立ち混って働くのですから、ちと武装しておりませんとね。」
 といって、軽く会釈して、さっさと店の方へ戻っていった。


 あくる日に行ってみると、私に決めた部屋はすっかり片付いていて、丸窓の下に堆朱《ついしゅ》の机と、その横に花梨胴《かりんどう》の小長火鉢まで据えられていた。
 そこへ娘は前の日と同じ服装で、果《くだ》もの鉢と水差しを持って入って来た。
「どういうご趣味でいらっしゃるか判りませんので、普通のことにして置きましたが、もし、お好きなら古い書画のようなものも少しはございますし……」
 そこで果物鉢を差出して
「こういうふうなものなら家の商品でまだ沢山ございますからご遠慮なく仰《おっしゃ》って下さいまし」
 果物鉢は南洋風の焼物だし中には皮が濡色《ぬれいろ》をしている南洋生の竜眼肉《りゅうがんにく》が入っていた。
 私はその鉢や竜眼肉を見てふと気付いて、
「お店は南洋の方の貿易関係でもなすっていらっしゃるのですか」と訊《き》いた。
「はあ、店そのものの商売は、直接ではございませんが、道楽と申しましょうか、船を一ぱい持って居りまして、それが近年、あちらの方へ往き来いたしますので……」
 娘の父の老主人はリョウマチで身体の不自由なことでもあり、気も弱くなって、なるたけ事業を縮小したがっている。しかし、店のものの一人に、強情に貿易のことを主張する男がいる。その男は始終船に乗って海上に勤め、そして娘は店で老主人の代りに、手別《てわ》けして働いている。娘は簡潔に家の事情をここまで話した。そして、その船貿易を主張する店のもののことに就《つ》いて、なおこう云って私の意見を訊いた。
「その男の水の上の好きなことと申しましたら、まるで海亀か獺《かわうそ》のような男でございます。陸へ上って一日もするともう頭が痛くなると申すのでございます。あなたさまは物をお書きになって、いろいろお調べでございましょうが、そんな性質の人間もあるのでございましょうか」
 と云ったが、すぐ気を変えて、「まあ、お仕事始めのお邪魔をいたしまして、またいずれお暇のとき、ゆっくりお話を承りとうございますわ」と、火鉢の火の灰を払って炭をつぎ、鉄瓶へ水を注《さ》し足してから、爽《さわ》やかな足取りで出て行った。
 爛漫《らんまん》と咲き溢《あふ》れている花の華麗。
 竹を割った中身があまりに洞《うつろ》すぎる寂しさ。
 こんな二つの矛盾を、一人の娘が備えていることが、私の気になって来たし、この娘の快活の中に心がかりであるらしいその店員との関係も、考
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