妓《げいぎ》が二人とお雛妓《しゃく》が一人現れた。
部屋の主《あるじ》は私女一人なのに、外来の女たちはちょっと戸惑ったようだが、娘が紹介すると堅苦しく挨拶《あいさつ》して、私が差出した小長火鉢にも手を翳《かざ》さず、娘から少し退って神妙に座った。いずれもかなりの器量だが、娘の素晴らしい器量のために皺《しわ》められて見えた。
娘は私には「この人たち宴会場から送って来て呉れたのですけれど、筆をお執りになる方には何かのご経験と思いついて、ちょっとお部屋へ上って貰いましたの」といった。
少しの間、窮屈な空気が漂っていたが、娘は何も感じないらしく、「みなさん、こちらに面白そうなことを少し話してあげて下さい」というにつれ、私も、「どうぞ」と寛《くつろ》いだ様子を出来るだけ示したので、女たちは、「じゃ、まず、一ぷくさせて頂いて……」と袂《たもと》からキルク口の莨《たばこ》を出して、煙を内端に吹きながら話した。
今までいた宴会の趣旨の船の新造卸しから連想するためか、水の上の人々が酒楼に上ったときの話が多かった。
船に乗りつけている人々はどんなに気取っても歩きつきで判るのである。畳の上ではそれほどでもないが、廊下のような板敷きへかかると船の傾きを踏み試めすような蛙股の癖が出て、踏み締め、踏み締め、身体の平定を衡《はか》って行くからである。一座の中でひどく酔った連れの一人が洗面所へ行ったが、その帰りに料亭の複雑な部屋のどこかへ紛れ込んで、探しても判らなかった。すると他の連中は、その連れの一人が乗組んでいる船の名を声を揃えて呼んだ。
「福神丸やーイ」
すると、「おーい」と返事があって、紛れた客があらぬ方からひょっこり現れた。
ある一軒の料亭で船乗りの宴会があった。少し酔って来るとみな料理が不味《まず》いと云い出した。苦笑した料理方が、次から出す料理には椀《わん》にも焼ものにも塩一つまみずつ投げ入れて出した。すると客はだいぶ美味《おい》しくなったといった。それほど船乗りの舌は鹹味《かんみ》に強くなっている。
きょうはいい塩梅《あんばい》に船もそう混まないで、引潮の岸の河底が干潟になり、それに映って日暮れ近い穏かな初冬の陽が静かに褪《さ》めかけている。鴎《かもめ》が来て漁《あさ》っている。向う岸は倉庫と倉庫の間の空地に、紅殻色《べんがらいろ》で塗った柵の中に小さい稲荷《いなり》と鳥居が見え、子供が石蹴《いしけ》りしている。
さすがに話術を鍛えた近頃の下町の芸妓《げいぎ》の話は、巧まずして面白かったが、自分の差当りの作品への焦慮からこんな話を喜んで聞いているほど、作家の心から遊離していいものかどうか、私の興味は臆《おく》しながら、牽《ひ》き入れられて行った。
ふと年少らしい芸妓が、部屋の上下周囲を見廻《みまわ》しながら
「このお部屋、大旦那《おおだんな》が母屋へお越しになってから、暫《しば》らく木ノ[#「木ノ」に傍点]さんがいらしったんでしょう……」と云った。
娘は黙ってごく普通に肯《うなず》いて見せた。
「木ノさんからお便りありまして……」と同じ芸者はまた娘に訊《き》いた。
「ええ、しょっちゅう」と娘はまた普通に答えて、次にこの芸妓の口から出す言葉をほぼ予測したらしく、面白そうに嬌然《きょうぜん》と笑ってこんどは娘の方から芸妓の言葉を待受けた。芸妓は果して
「あら、ご馳走《ちそう》さま、妬《や》けますわ」と燥《はしゃ》いでいった。
「ところが、事務のことばかりの手紙で」
芸妓はこの娘が隠し立てしたり、人を逸《はぐ》らかしたりする性分ではないのを信じているらしく、それを訊くと同時に、
「やっぱり――」と云って興醒《きょうざ》め顔に口を噤《つぐ》んだ。
「そう申しちゃ何ですけれど、あたしはお嬢さんがあんまり伎倆《うで》がなさ過ぎると思いますわ」
と今度は年長の芸妓が云った。「これだけのご器量をお持ちになりながら……」
娘は始めて当惑の様子を姿態に見せた。
「あたしは、随分、あの人の気性に合うよう努めているんだけれど……なによ、その伎倆っていうの」
年長の芸妓は物事の真面目《まじめ》な相談に与《あずか》るように、私が押し出してやってある長火鉢に分別らしく、手を焙《あぶ》りながら、でもその時急に私の方を顧慮する様子をして
「ですが、こちらさんにこんなお話お聞かせして好いんですか」
「ええ、ええ」
娘の悪びれないその返事が如何にも私に対する信頼と親しみの響きとして私にひびいた。先程からの仕事への焦慮もすっかり和んで、むしろ私はその場の話を進行させる為めにことさら自らの態度を寛がせさえするのであった。年長の芸妓は安心したように元の様子に戻って
「ま、譬《たと》えて云ってみれば、拗《す》ねてみたり、気を持たせてみたり」
娘は声を立て
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