閉じ籠っているのではあるまいか。
 それから、私は注意を二階に集めて、気を配ったが、雪は小止みとなり、風だけすさまじく、幽《かす》かな音も聴き取れなかった。定刻の時間になったので私は帰った。
 あくる日は雪晴れの冴《さ》えた日であった。昨日から何となく私の心にかかるものがあって私は今までになく早朝に家を出て河岸の部屋へ来た。そしてやや改まった様子で机の前に座っていると、思いがけない顔をしてやま[#「やま」に傍点]がはいって来た。私は早く来たことについて好い加減な云いわけを云ったのち天井を振り仰ぎ乍《なが》らやま[#「やま」に傍点]に向って、
「どなたかこの上のお部屋にいるの」と訊《き》いた。
 やま[#「やま」に傍点]は「はあ」と答えた。
 私の心の底の方にあった想像が、うっかり口に出た。
「お嬢さんでもいらっしゃるのではないの」
 すると、やま[#「やま」に傍点]の返事は案外、無雑作に、
「はあ、昨日もお昼前からいらっしゃいました」と云った。
「どういうお部屋なの」
 やま[#「やま」に傍点]は「さあ」と云ったが、実際、室の中の事は知らないらしく、他の事で答えた。
「昨日の大雪で、あなたはお出にならないでしょうと、お嬢さんは二階のお部屋へお入りになりました。晩方、お部屋から出ていらっした時、私があなたがおいでになったのを申上げると、とても、落胆なすっていらっしゃいました。時々お二階の部屋へお嬢さんはお入りになりますが、その時はどんな用事でもお部屋へ申上げに行ってはならないと仰《おっしゃ》いますので……」
 私には判った。それは娘の歎《なげ》きの部屋ではあるまいか、しん[#「しん」に傍点]も根《こん》も尽き果てて人前ばかりでなく自分自身に対しての、張気も装いも投げ捨てて、投げ捨てるものもなくなった底から息を吸い上げて来ようとする、時折の娘の命の休息所なのではあるまいか。
 だが、ときどきにもせよ、そういう一室に閉じ籠れるのは羨《うらやま》しい。寧《むしろ》ろ嫉《ねた》ましい。自分のように一生という永い時間をかけて、世間という広い広い部屋で、筆を小刀《メス》に心身を切りこま裂いて見せ、それで真実が届くやら、届かぬやら判りもしない、得体の知れない焦立たしいなやみの種を持つものは、割の悪い運命に生れついたものである。
「で、今朝お嬢さんは?」
 と私が云うと、やま[#「や
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