めていた娘の瞳《ひとみ》と睫毛《まつげ》とが、黒耀石《こくようせき》のように結晶すると、そこからしとりしとり雫《しずく》が垂れた。客の私が、却って浮寝鳥に枯柳の腰模様の着物の小皺《こじわ》もない娘の膝《ひざ》の上にハンケチを宛《あ》てがい、それから、鮨を小皿に取分けて、笹の葉を剥《む》いてやらねばならなかった。
でも、娘は素直に鮨を手に受取ると、一口端を噛《か》んだが、またしばらく手首に涙の雫を垂し、深い息を吐いたのち、
「あたくし、辛い!」と云った。そして私の方へ顔を斜に向けた。
「あたくしは、ときどきいっそのこと芸妓《げいぎ》にでも、女給にでもなって、思い切り世の中に暴れてみようと思うことがありますの」
それから、口の中の少しの飯粒も苦いもののように、懐紙を取出して吐き出した。
私は、この娘がそういうものになって暴れるときの壮観をちょっと想像したが、それも一瞬ひらめいて消えた火のような痛快味にしか過ぎないことを想い、さしずめ、「まあそんなに思い詰めないでも、辛抱しているうちには、何とか道は拓《ひら》けて来ますよ」と云わないではいられなかった。
昨夜から今朝にかけて雪になっていた。私は炬燵《こたつ》に入って、叔母に向って駄々を捏《こ》ねていた。
「あすこの家へ行くと、すっかり分別臭い年寄りにされて仕舞うから……」
「だから、なおのこと行きなさいよ。面白いじゃないか、そういう家の内情なんて、小説なんかには持って来いじゃありませんか」
この叔母は、私の生家の直系では一粒種の私が、結婚を避け、文筆を執ることを散々嘆いた末、遂に私の意志の曲げ難いのを見て取り、せめて文筆の道で、生家の名跡を遺《のこ》さしたいと、私を策励しにかかっているのだった。
「叔母さんなんかには、私の気持ち判りません」
「あんたなんかには、世の中のこと判りません」
だが、こういう口争いは、しじゅうあることだし、そして、私を溺愛《できあい》する叔母であることを知ればこそ、苦笑しながらも、それを有難いと思って、享《う》け入れている私との間には、いわば、睦《むつ》まじさが平凡な眠りに墜《お》ちて行くのを、強いて揺り起すための清涼剤に使うものであったから、調子の弾むうちはなお二口三口、口争いを続けながら、私はやっぱり河沿いの家のことを考えていた。
結局あの娘のことを考えてやるのには、どうして
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