老人の槌の手は、しかしながら、鏨の手にまで届こうとする一|刹那《せつな》に、定まった距離でぴたりと止まる。そこに何か歯止機が在るようでもある。芸の躾《しつ》けというものでもあろうか。老人はこれを五六遍繰返してから、体をほぐした。
「みなさん、お判りになりましたか」
と言う。「ですから、どじょう[#「どじょう」に傍点]でも食わにゃ遣《や》りきれんのですよ」
実はこの一くさりの老人の仕方は毎度のことである。これが始まると店の中であることも、東京の山の手であることもしばらく忘れて店の者は、快い危機と常規のある奔放の感触に心を奪われる。あらためて老人の顔を見る。だが老人の真摯《しんし》な話が結局どじょう[#「どじょう」に傍点]のことに落ちて来るのでどっと笑う。気まり悪くなったのを押し包んで老人は「また、この鏨の刃尖の使い方には陰と陽とあってな――」と工人らしい自負の態度を取戻す。牡丹《ぼたん》は牡丹の妖艶ないのち、唐獅子の豪宕《ごうとう》ないのちをこの二つの刃触りの使い方で刻み出す技術の話にかかった。そして、この芸によって生きたものを硬い板金の上へ産み出して来る過程の如何に味のあるものか、
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