ありました。また誰かに貰《もら》って来たローマ旧教《カトリック》の僧の首に掛《か》け古された様な連珠《れんじゅ》に十字架上のクリストの像の小さなブロンズの懸《かか》ったのを肌へ着けたりして居ました。
 氏の無邪気な利己主義が、痛ましい程《ほど》愛他《あいた》的傾向になり初めました。
 やがて、氏は大乗《だいじょう》仏教をも、味覚しました、茲《ここ》にもまた、氏の歓喜的|飛躍《ひやく》の著《いちじ》るしさを見ました。その後とて、決してキリスト教から遠《とおざ》かろうとはしませんけれど、氏の元来《がんらい》が、キリスト教より、仏教の道を辿《たど》るに適して居ないかと思われる程、近頃の氏の仏教|修業《しゅぎょう》が、いかにも氏に相応《ふさわ》しく見受けられます。
 氏は毎朝、六時に起きて、家族と共に朝飯前に、静座《せいざ》して聖書と仏典《ぶってん》の研究を交《かわ》る交《がわ》るいたして居《お》ります。
 氏は、キリスト教も仏教も、極度の真理は同じだとの主張を持って居ります。随《したが》って二重に仕《つか》えるという観念もないのであります。ただ、目下《もっか》は、キリスト教に対しては、その教
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