じゃ、こちらへ寄りはしまいで、沖へ遠のきますと申すに。はてさて、意地の悪い菩薩方じゃ。だんだん筏は離れてしまいまする。ええ、それでは人焦らしに漕いで来られたようなものじゃ……おーいおーい、その舟、その筏、影はだんだん薄れて行く。もうすっかり見えなくなった。拙《つた》ない宿世《すくせ》か、前世の悪業か、あーあ今日もまた、極楽への行き損じか。誰を恨まんようもない。身も根も疲れ果てた。悲しもうにも涙も尽き果てた」
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(聖、がっくりする。式部と老侍女は顔を見合す)
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老侍女「どうやら、聖さまは極楽行きのお船に乗り損なったようじゃございませんか」
式部「そうだよ。こういう時代の人間は、あれほどの骨折をしながら、人間の中に何か此の世に引き付けられるものが漉《す》き込まれていて、解脱《げだつ》が手の届くところまで来ていても、どうしても掴めずに引戻されるらしい」
老侍女「何が、そんなに邪魔をするのでございましょう」
式部(縁にしゃがんで、たわわに咲き傾いている女郎花《おみなえし》を一つ手折って老侍女に示しながら
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