たった一つよこさないものはフランス製の西洋|寝巻《ねまき》だ。洋行からわたし達がかえるとき巴里《パリ》に置いて来たこどもが訣《わか》れしなに父のこの人に買って呉《く》れた寝巻だ。厚いラクダの毛。これをこの人は夏冬なしに寝巻に着る。夏は毒ですよ、といってもききはしない。そして枕につくとき云《い》う「こどもはどうして居《い》るかな」
子を思えばわたしとても寝られぬ夜々《よよ》が数々ある。わたしという覚束《おぼつか》ない母が漸《ようや》く育てた、ひとりのこども。わたしに許しを得て髪を分けたこども、一《いっ》しょに洋行したこども。おとなびてコーヒーに入れる角砂糖の数を訊《き》いて呉れるこども。フランスからひとりで英国のわたし達に逢《あ》いに来たこども。パリでは手を握り合ってシャリアピンに感心したこども。置いて日本へかえってからは寄越《よこ》す手紙ばかりを楽しみにして居るわたし達、冬の灯《あかり》ともす頃はことさら巴里の画室で故郷をおもうと書き寄越した手紙を読んだわたしは直《す》ぐにもこの人を起こす。いつも寝入ればなかなか起きないこの人がたやすく起きる。そして涙ぐみつつふたり茶をのむ夜ふけ――
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