林檎《りんご》の鉢植の傍まで行くと、老紳士と組んだ腕を解き、右の片手を鉢の縁にかけ、夜会服の裾《すそ》を膝まで捲《めく》る。心得のある老紳士はそっと彼女に背を向け中庭の薄明が室内の電燈と中和する水色の窓硝子に疲れた眼を休ませる。客商売である帳場の者はもちろんこういう時の心得は知って居てそっぽを向く。(小田島ばかりはこういう時の礼儀を知らぬ東洋人であると、しらばくれて居られる特権がある。)彼女が捲った膝の縊《くび》れが沓下《くつした》の端を風鈴草の花のように反《そ》り返らせ、露《あらわ》になった彼女の象牙色の肉が盛り上る其処《そこ》には可愛らしいジャンダークの楯《たて》が刺青《いれずみ》してある。フランス乙女|倶楽部《クラブ》の会員章だ。実はこの刺青を小田島に見せるために、彼女は人前で靴下止めを直す振りをしたのだ。小田島とランデヴウを約束しようとして他人と一緒の時には、いつも彼女はこの可愛らしいふてぶてしい仕草で合図をする。
 彼女は小田島が彼女の様子を見届けたのを知ると裳を元通り降して立ち上り、老紳士に云った。
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――今日のお昼は小海老《こえ
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