た独逸《ドイツ》の腸詰王が鼾《いびき》をかき出した。などと忙しく説明し乍ら女は馴染みのタンゴ楽手のアルゼンチン人や友達の遊び女達の出入する度に挨拶の代りに舌を出したりした。
 ウイスキーをしたたか呑んで、だんだん酔の廻って来る女と一緒に人仲に居るのも気がさすので、小田島は部屋へ引取ろうとして立ち上ると女は急に彼を睨《にら》み上げた。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
――へん、イベットならオンフルールくんだりまで行った癖に…………。
[#ここで字下げ終わり]
 女の言葉には妙に性根があった。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
――君は、どうしてそれを知ってるの。
――蛇の道ゃへび[#「へび」に傍点]さ、ふん。
[#ここで字下げ終わり]
 女は横を向いてせせら笑ったが、今度は前より一層|酷《ひど》く小田島を睨み上げた。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
――わたしゃ、いつだってあのイベットに男を取られちまうんだよ。
[#ここで字下げ終わり]
 女の睨みが緩《ゆる》んで来ると惨《みじめ》なベソの様な表情が現れて来た。小田島は前からイベットと知り合いだとこの女に云った処で仕方もなしきり[#「きり」に傍点]が無いので嫌がる女を引きたててホテルの玄関から夕暗のなかに出して遣《や》った。

       五

 午前一時過ぎのドーヴィル賭博場内だ。
 牛乳色に澱《よど》んだ室内の空気のなかで、深酷《しんこく》な血の吸い合いが初まっていた。
 煙草のけむりと、香水の匂いとで疲れて居る光の中に、賭博台が幾つも漂って居る。それにぎっしり人がたかって居る。難破したボートに人がたかって居るように見える。あまりに縁へのしかかり、沈んで仕舞った様にも見える人がある。
 二千フランのテーブルでは大賭博団スタンレー一派が戦を開いて居る。
 細くてキチンと服装を整えた男、背中を丸出しの女、二人とも揃って肥った体に宝石を鏤《ちりば》めて居る夫婦。
――あまり綺羅《きら》びやかに最上級に洒落て居るので却《かえ》って平凡に見える幾十組かが場の大部分を占めて居るので、慾一方にかかって居る樺《かば》色の老婆や、子供顔のうぶな青年が却って目立つ。そしてそれらの人体の間に閃めくカルタ札、カルタ札を掃く木沓《サボ》、白い手、紙幣、紙幣の代りに使う延べの銀板。――小田島は異様に緊張し、両手を堅く握り合せ、床に足首を立て重い靴の先で場内を見廻って居た。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
――そうら。遂々《とうとう》また見付けた!
[#ここで字下げ終わり]
 四百九十三号室の女である。
 小田島は腹立たしくなった。この女は、まるで誰かに頼まれでも仕た様に、この土地へ来てから自分の行く先々に付いて廻る。実に面白くも無い邂《めぐ》り合《あわ》せだ。
 だが女は、小田島がそんな腹で居ようが居まいがという調子でぐんぐん男の腕を捲いて仕舞った。仕方がない! 酔って居ないのがまだしもだ、なまじい逆《さから》って喚《わめ》かれるより逆に利用して此処の説明でも聞く方が増しだと彼は腹を極《き》めて仕舞った。女はしかし、何か非常にこだわっで居るように興奮して居る。そして捲いた男の手を力強く曳いて暫く場内をあちこち歩いて居たがふと立ち止ると急いで腕を解き邪慳《じゃけん》に小田島の耳朶《みみたぶ》を引いた。
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――イベットが居る。あんた、イベットが見度くって来たんだろう。ちゃんと知ってる。
[#ここで字下げ終わり]
 五百フランのテーブルにイベットが居た。「親元」に立って居る老紳士の真向いのテーブルに女王のような取り済し方で臨んで居る。彼女は顔に非常に似合う好い色の着物を着て居る。テーブルの組の人達もみんな彼女にその権威を許し彼女の機嫌に調子を合せて居るように見える。中でも彼女の隣の猪首で年盛りの男は卑屈なほど彼女の世話を焼いて居る。
 イベットも小田島の来たのを認めた。すると態《わざ》とらしく猪首の男の肩に凭れ、疲れを癒す真似《まね》をした。男は眼を無くしてイベットの手の指を接吻した。彼女はまたちらと小田島の方に眼を遣ったが連れの女には眼も呉れなかった。小田島は勿論、こんな女が自分の傍に居るのを知ってもイベットが何とも思わないことを知って居た、それよりもイベットの子供らしいとはいえ態《わざ》と自分にからかって他の男に巫山戯《ふざけ》る様子にいくらかの嫉妬を感じた。だがそれよりも尚《なお》彼は連れの女の不思議な様子に気を奪《と》られた。女はイベットから無視されたにも拘らず、イベットが此方《こちら》を向くとそそくさ目礼し愛想笑いをし、送りキッスまでした。而《しか》も顔は興奮に青ざめ、息使いまでがせわしい。女はイベッ
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