ダミア
岡本かの子

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)扱《こ》き上げて

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)うめき[#「うめき」に傍点]出す

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)じり/\下から
−−

 うめき[#「うめき」に傍点]出す、といふのがダミアの唄ひ方の本当の感じであらう。そして彼女はうめく[#「うめく」に傍点]べく唄の一句毎の前には必らず鼻と咽喉の間へ「フン」といつた自嘲風な力声を突上げる。
「フン」「セ・モン・ジゴロ…………」である。
 これに不思議な魅力がある。運命に叩き伏せられたその絶望を支へてじり/\下から逆に扱《こ》き上げて行くもはや斬つても斬れない情熱の力を感じさせる。その情熱の温度も少し疲れて人間の血と同温である。
 彼女の売出しごろには舞台の背景に巴里の場末の魔窟を使ひ相手役はジゴロ(パリの遊び女の情人)に扮した俳優を使ひ彼女自身も赤い肩巻に格子縞の Basque といふ私窩子《じごく》型通りの服装をして彼女の唄の内容を芝居がゝりで補つたものだが、このごろは小唄専門のルウロップ館あたりへ出る場合にはその必要は無い。墨一色の夜会服に静まつても彼女の空気が作れるやうになつた。
 女は娘時代から年増の風格を備へてゐるものがある。ダミアはそれだ。しかもダミアは今は年齢からいつても大年増だ、牛のやうな大年増だ。頬骨の張つた顔。つり合ふがつしりした顎。鼻は目立たない。その鼻の位置を狙つて両側から皺み込む底の深い鼻唇線は彼女の顔の中央に髑髏の凄惨な感じを与へる。だが、眼はこれ等すべてを裏切る憂鬱な大きな眼だ。よく見るとごく軽微に眇《すがめ》になつてゐる。その瞳が動くとき娘の情痴のやうな可憐ななまめき[#「なまめき」に傍点]がちらつく。瞳の上を覆ふ角膜はいつも涙をためたやうに光つてゐる。決して大年増の莫蓮を荷つて行ける逞しさもまた智恵も備へた眼ではない。所詮は矛盾の多い性格の持主で彼女はあるだらう。(矛盾は巴里それ自身の性格でもあるやうに)何か内へ腐り込まれた毒素があつて、たとひそれが肉体的のものにしろ精神的のものにしろそれに抗素する女のいのちのうめき[#「うめき」に傍点]が彼女の唄になるのであらう。彼女は正統な音楽の素養は無かつたはずだ。町辻でうめき[#「うめ
次へ
全3ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 かの子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング