き」に傍点]、酒場でうめき[#「うめき」に傍点]してゐるそのうめき[#「うめき」に傍点]声にひとりで節が乗つてとう/\人間のうめき[#「うめき」に傍点]の全幅の諧調を会得するやうになつたのだ。人間にあつてうめかずにゐられないところのものこそ彼女の生涯の唄の師である。
彼女が唄ふところのものはジゴロ、マクロの小意気さである。私窩子のやるせない憂さ晴しである。あざれた恋の火傷の痕である。死と戯れの凄惨である。暗い場末の横町がそこに哀しくなすり出される。燐花のやうに無気味な青い瓦斯の洩れ灯が投げられる。凍る深夜の白い息吐《とい》きが――そしてたちまちはげしい自棄の嘆きが荒く飛んで聴衆はほとんど腸を露出するまでに彼女の唄の句切りに切りさいなまれると、其処に抉出される人々の心のうづき[#「うづき」に傍点]はうら寂びた巴里の裏街の割栗石の上へ引き廻され、恥かしめられ、おもちやにされる。だが「幸福」だといつて朱い唇でヒステリカルに笑ひもする。そして最後はあまくしなやかに唄ひ和めてくれるのだ。ダミアの唄は嬲殺しと按撫とを一つにしたやうなものなのだ。
彼女はもちろん巴里の芸人の大立物だ。しかし彼女の芸質がルンペン性を通じて人間を把握してゐるものだけに彼女の顧客の範囲は割合に狭い。狭いが深い。
ミスタンゲットを取り去つてもミスタンゲットの顧客は他に慰む手段もあらう。ダミアを取り去るときダミアの顧客に慰む術は無い。同じ意味からいつて彼女の芸は巴里の哀れさ寂しさをしみじみ秘めた小さいもろけた[#「もろけた」に傍点]小屋ほど適する。ルウロップ館ではまだ晴やかで広すぎる。矢張りモンパルナス裏のしよんぼりした寄席のボビノで聞くべきであらう。これを誤算したフランスの一映画会社が彼女をスターにして大仕掛けのフィルム一巻をこしらへた。しかしダミアはどうにも栄えなかつた。
底本:「日本の名随筆25 音」作品社
1984(昭和59)年11月25日第1刷発行
1999(平成11)年4月30日第17刷発行
底本の親本:「岡本かの子全集 第十一巻」冬樹社
1976(昭和51)年7月第1刷発行
入力:門田裕志
校正:林 幸雄
2002年12月4日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp)で作られまし
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