調子に景子達の方が思わず恥かしい気持ちにさせられて黙って居るより外《ほか》仕方がなかった。
 宮坂は始め客達に目を瞠《みは》らせられた物珍らしさが過ぎると、此の不意に現われて際限もなく自分の会談を奪って居る女性達にいらいらした不満を抱き始めたらしかった。彼は印度女達の饒舌の切れ目を待って勇者のような思い切った態度でガルスワーシーに問いかけた。
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――あなたは宗教に就いてどう考えますか?」
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 ガルスワーシーは此のだしぬけの質問に周章《あわ》てて今まで正面の印度女達を見て居た顔を左へ振り向け、もう一度質問を聴き返えしたが少し困ったような顔で言った。
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――宗教ですか? それは大問題ですね。」
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 そして正面の饒舌家の女性群と眼を見合わすと、止むを得ぬはずみのように言った。
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――あなた方はどう御考えですか?」
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 インドの女詩人は順番がやっと来たので勇んで演壇に飛び上ってしゃべり出す弁士のように両眼を輝やかし鞣皮《なめしがわ》細工のような形の宜《よ》い首を前へつき出した。
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――私達はマホメットの宗教を信じ剣を以《も》って邪を払い、詩を以って心を養います」
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 宮坂はまたしても此の高飛車なまぜっかえしのような返答に逢ってちょっと吹き出しそうにしたが、直ぐまたむっとして怒ったような顔をそむけて沈黙した。
 其の時ガルスワーシーは北側の壁の中央に在るマントルピースの上に立てかけてあった小さい額を取り卸《おろ》して来て日本人達に見せた。彼に取っては迷惑千万な宗教問題を得たり賢しと自分に引取って面白くもない自己吹聴を並べたてる回々《マホメット》教徒の女の誇張した恍惚感の説明や排他的な語気は、たとえ相客が表面無礼を感ぜぬように装って居るにしても主人側から見て英国人のサロンの空気をにがにがしくするように思った。ガルスワーシーが突如此の額を卸ろして来て景子達に差出した仕打ちは一つは宗教問題打ち切りの宣告でもあり、一つは印度女への無言の叱責でもあった。其の額にはガルスワーシーが畏敬と如才ない愛想の筆致でもって戯画化されて居た。
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――ミスター・ロウが描いて呉れたんですよ。あのイヴニング・スタンダード紙の。似て居ますか?」
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 流石《さすが》に印度女達は黙ってしまった。そして今までの突飛な高調した態度とは打って変って極めて常識的な地味な女達になってお互いにこそこそ用事の話を始めた。
 此の有名な漫画家の描いた文豪の似顔画はあまり出来のいいものではなかった。臆した堅苦しい写生の上に無理に戯画的のものをつけ加えたちぐはぐの部分が景子達にも判った。
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――すこし老《ふ》けて描いてはございませんか」
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 ガルスワーシーは額を自分の手に引取り見直したのち、
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――左様。そう言えば、そうですね。多分私の苦労した方面をロウ君が捉えたのでしょう」
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 そう言って笑った。
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――此のロウ君はですね、濠洲生れの男でしてね。線と簡単化ということでは沢山東洋的のものを持ってるように思うんですが日本のお方にはどう見えますか。それに此の人の漫画のユニークなところも欧洲人の持前のものと違って消極的な苦《にが》いものがあるのですが、之れも東洋的のものとはお思いになりませんか。ロウ君の仕事なぞから感じさせられますが濠洲に行って居る欧洲人の移民が三代、四代も経つと段々東洋化されて行くようです」
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 その観察は確かにガルスワーシーが不断から抱懐して居るものに違いない様子だが、それを此の場合に述べる口振りには此の英国文豪が客によって自分の意見の真実を曲げずに而《し》かも客への愛想となる好話題を選み出せる如才ない一面が覗《うかが》われる。
 景子は主人の好意を認めるようにただ「そうです、そうです」と返事した。
 印度女達は咽喉をつめられて声の出せないような重苦しい状態の下に長くは我慢して居なかった。持参したインド土産らしい布地などをガルスワーシー夫人に手渡しながら不平の交った荒っぽい賑やかさを残して客間を引き上げて行った。
 送って玄関まで行ったガルスワーシー夫人が応接間へ帰って来た時、何んとなく取り散らかされたような室内の気配のなかに少し不興気な先客を
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