置くのを恐縮しながら夫妻は裏庭のサンルームの方へ更《あらた》めて二人を案内した。途中夫人の居間らしい褐色に塗られた北側の室と、カーテンを引いた白ペンキ塗りの枠を持つ今|一《ひとつ》の部屋の窓からは内部の模様がわからなかったが食堂らしい南側の室との間の細長い廊下を引き切って、先頭に立ったガルスワーシーが其のいくらか前屈《まえかが》みの長身を横にそらすと景子達は庭の芝生の緑の強い反射に眩《くら》まされて眼をまたたきながらサンルームに出た。勧められた安楽椅子にちょっと手をかけた景子は急に此庭の秋色が見たくなって窓際へ近寄って行った。
中央の亭の柱にからんで、円錐形の萱葺《かやぶ》き屋根の上へ這い上って居る蔓薔薇は夏から秋に移ると直ぐに寒くなる英国の気候にめげてまばらに紅白の花を残して居たが、其の亭の周りのシンメトリカルに造られた四ツ弧形の花床には紅白黄紫の大輪菊がダリヤかと見えるようなはっきりした花弁をはねて鮮やかに咲き停《とどめ》て居る。景子は思わず嘆声を洩した。
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――日本の菊!」
――日本の菊じゃありませんよ。いくら花の形や色がそっくりでも、英国に咲いてるのは矢張り英国の菊ですよ。香も日本の菊程無いし、葉にもむく毛が無い。全体に日本の菊のようにおっとりした品が無くって徒《いたずら》にパッと開いて居ますね」
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宮坂は景子の直ぐ傍へ来て今までの鬱屈を晴らすような明快な声で言い放った。空気と共に花の匂いを一ぱい胸に吸い込むような大きな息もした。その時一たん椅子に坐ったガルスワーシーが二人の話題へはいりに立って来ようとするので二人はあわてて席へ戻った。やっと落ち付いて主客話し合おうとして見たが、応接間で印度の女達から受けたちぐはぐな気持がお互いの頭に、しこって居たのですぐにも打ち融けかねた。窓から入る気まぐれな風が灰皿や花瓶や英国製の純白の磁器を冷たく撫でて、そこらを二三度|匍《は》い廻った。
ガルスワーシーは立ち上って窓を閉めリョウマチスらしい左の肘《ひじ》を右の手で揉みながらしっかりと座に即《つ》いて最後に取って置きのお愛想をするのだと言わんばかりに自分の言葉に貴重さを響かしてこう言った。
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――失礼ですが私共からあなた方を見ると皆育ち盛りの児《こ》どものように見えますよ。あなたのお国の方には前にも五六人以上お会いして相当年配の方も居られたようですが然《しか》し、やっぱり児どものようなところがあるのです。育ち盛りの………。何でも訊き度がりなさるところなぞも」
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老文豪が此の言葉を言った時にちらりと皮肉な様子を口元に見せたがすぐその影は消えて再び親切に努める態度に立戻った。
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――それに引きかえ私達の国の人間を御覧なさい。児どもでも老人のようには見えませんか、青いうちに皺の入った瘠地の杏《あんず》のように。別《わ》けて中産階級の児どもは。犬でも鶏でも、どうも私達の国のものは年寄り染みてるらしいのです。困りましたね」
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いつか新らしく茶を運んで来てまた、夫の傍に坐って居た夫人は此の時ちらりと夫の顔を見た其の瞳にはそれほどまでの話をしなくともと夫を窘《たしな》める様子に見えた。けれども老文豪は信ずるところあるものらしく逆に言葉を強めて言った。
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――一番いけないことは私共英国人の趣味に消極を楽しむという傾向の入って来たことです。それも東洋人の持つような積極的に通ずる徹底した消極趣味というのではたく、五分縮められ、三分縮められて行くことに反抗しながらしかも押し流されて行く、其処に人生の味があるのだと思うようになってしまったことです。退嬰《たいえい》を悲しむうちはまだ脈があります。退嬰を詩に味わうようになったらおしまいです」
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景子は此の文豪の著作の「銀の匙」の趣意を想い出した。「銀の匙」を使い切れぬようになっても銀の匙を思い切って投げ捨てられない未練な英国人を頭に浮べた。宮坂はと見ると、思いがけなく、自国を率直に語る文豪の言葉の真実性に内心驚喜し、彼の味到癖《みとうへき》を傾けつくして其の一句一句を蜜のように貪《むさぼ》り吸っている様子だ。
老夫人はと見るとさぞ渋面作っているであろうと、思いの外、もう峠を越したというふうに晴やかで退屈な顔に戻った。流石に老夫人は夫の習性をよく知っていたのだ。ここまで究極すれば必ず話の筋を救い上げる文豪の心の抑揚をよく知っていたのだ。果してガルスワーシーは言った。
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――だが………」
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