れるような脂肪過多の老女中は玄関の扉を開けて顔を出した。彼女は度々景子を見知って居るのに英国風に改まって景子と同伴者の名前を聴いて引きこんで行く。直ぐ入れ違いにガルスワーシー夫人が現われる。予《あらかじ》め電話で打ち合せがしてあったので待ち受けて居たのであろうにこにこと出迎えた。彼女は日本で言うとそれ者上りのように垢抜《あかぬ》けのした、白ちゃけた感じのする面長の美人で白髪交りの褐色の頭髪を後で手際よくまるめて居る。服装も目立たない黒地がかった普段着のドレスを着て居る。有名な芸術家の妻としての何か特異な姿を待ち望んで居たらしい宮坂は此処でまた一寸不可解な顔をする。夫人の案内で景子達は英国産の樫の木材で内部を組立てた純英国式の応接間へ通った。
 ガルスワーシーは景子達が室へ入るのを待ち兼ねたように閾口《しきいぐち》まで出迎えて握手の手を差し出した。近頃氏の握手には木骨に触れる性の無い堅さを感じる。これは永年の劇《はげ》しい創作的努力と英国紳士としての対外的妥協の生涯から来た全身的疲労の一部だとも考えられる。そして少し光る眼で二人を見おろして居る長身のガルスワーシーは狡猾《こうかつ》と人の好さとを皺《しわ》の目立たぬ面長な顔に好く調和させて、頼母《たのも》しいが油断のならぬ六十歳位の白髪の老紳士だ。ガルスワーシーは東洋人の黒いひたむきな四ツの瞳の鋭い視線をいくらか気弱くそらそうとするように室の中央に在る小さな茶テーブルの向う側の低い椅子に腰かけて少しもの憂げなこごみ加減の長身を横向けにした。応接間は玄関|傍《わ》きの奥へ向って細長い室であった。肝腎の陽射しを受ける南に本棚や壁があって、僅かに奥の方に小窓が在るので其処から入って来る秋の午後の赤茶気た光線は氏の左側を照すのみで、他の部分は――顔も胸も――陰となって向い合った客の景子達だけを明るく照し出した。
 夫人は茶テーブルの上の金縁の紅茶茶碗へ紅茶を注ぐと軽く会釈《えしゃく》して夫の側へ腰を下ろした。此の如何にも物馴れた常識的な客間の状勢は日本の客を受け身にさせ、暫らくガルスワーシーの日本の風物に対する質問等に景子達はただ柔順に受け答えしなければならなかった。やがて助教授宮坂は日本人的のぎこちない真面目な顔付きでガルスワーシーを覗き込むようにしながら氏の近作「銀の匙《さじ》」と「白鳥の歌」に就いて発言しようと口を切った時、玄関へ一団の訪問客の押しかけて来たけはいを感じて言葉を切った。訪問客の一団は丁度ロンドンで開かれたインドに就いての円卓会議の出席者として態々《わざわざ》渡英して来たインド各聯邦の代表者達の秘書の妻君や娘達であることを先刻の肥った老女中の取次ぎが丁寧《ていねい》に伝えて行った。景子達の日本的律義にいくらか窮屈だったらしいガルスワーシー夫妻は急にくつろぎを見付けたように立ち上って、そそくさと玄関へ出かけて行った。二人の日本人は夫妻の其の態度に老英帝国がインド聯邦を保護国として迎える態度を聯想した。賑《にぎ》やかに入って来た客は印度《インド》婦人服独特の優雅で繚乱《りょうらん》な衣裳を頭から被《かぶ》り、裳裾《もすそ》を長く揺曳《ようえい》した一団の印度婦人だった。
 始めその婦人達は先客としての日本の男女を紹介されてちょっと気負いを挫《くじ》かれた形だったが、直き又揃えたような美貌を正面に立ててガルスワーシーに逢えた光栄を得意の英語の大げさな口調でしゃべり始めた。室の入口の両隅に寄せてあった五脚の低い椅子を夫人と女中が茶テーブルの周りに持って来る間に景子達はガルスワーシーの左側へ椅子を寄せて陽射しを自分達の顔から新来の印度女達の面上へ譲る。此の五人の印度女の内で一段|際立《きわだ》って見えるカシミヤ代表の秘書の夫人は細くすんなりとした体に桃色絹のインド服を頭や腕や腰にはめた黄金造りのバンドで締めつけ、同じ色絹のべールを頭から背へかけて居た。足には流石《さすが》に英国風の飾り靴をはいて居たが足頸にも金環をはめて居た。彼女は腰掛けて居ながら亢奮したように絶えず身を動かして体中の金飾りを鳴らした。彼女は身をくねらせて魅惑的なしな[#「しな」に傍点]をしながら大理石の彫刻のような顔の鼻柱に迫る両眼の生々しい輝きに時折り想い詰めた情慾のようなひらめきを見せてべールの間からガルスワーシー夫妻や二人の日本人達を交互に見て癇高《かんだか》い声で言った。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
――私は詩人です。私は三代続いた詩人の家の娘です。私は詩が好きですよ。英国ではイエーツが一番好きで、其の次ぎにはシェリー、キーツが好きです」
[#ここで字下げ終わり]
 カシミヤ夫人は景子が期待して居たように同じ東洋人を懐かしいとも言わない。そればかりか其の度合いの取れない飛び上った話の
前へ 次へ
全6ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 かの子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング