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 ガルスワーシーはまた立上った。そしてズボンの隠しに両手を入れて思案深い、やや老獪《ろうかい》な態度で室内を漫歩しながら続けた。
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――だが、私共はいくつでもブレーキを持って居るのです。自分でもうるさいくらいの。で、その沢山のプレーキの歯止めを噛ませるうちには、どれかの歯止めが役に立つのです。我々英国民はそうやすやすとは押し流されはしないでしょう」
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 さて此の首尾を全《まっと》うした愛想話が客にどういう効果を与えたか老獪にちょっと此方《こちら》を窃《ぬす》み視た。其の態度はずるいと言えばそれまでだが衰えながら、やっぱり年長の位を保って相手に大様《おおよう》さを見せ度がって居る老人の負けず嫌いが深く籠《こも》っていた。
 老夫人は特に客に此の結論に注意せよといったふうに、「その通り」と相槌《あいづち》をうった。
 話が余りにまとまりよく、そして鮮かに引き結ばれたので、その後に残った却って興味索然とした空白が四ツの顔をただまじまじさせた。
 景子は切上げ時だと思って催促の眼ざしを宮坂の横顔に向けた。宮坂は度の強い近視眼鏡の奥で睫毛《まつげ》の疎い眼を学徒らしく瞑目していた。それが景子には老文豪の話を頭で反芻《はんすう》して居るらしく見えた。暫らくそうさしといて、やがて景子が口に出して声をかけようとする時、宮坂は眼をポックリ開いて、さも決心したらしい顔付きで言った。
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――恐れ入りますが、先生の手の筋を拝見さして頂き度いのですが………記念の為めに」
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 余り宮坂の唐突な言葉に景子もやや呆れた。ガルスワーシーはなお受取り兼ね二三度反問したが結局どうやら宮坂の希望の目的が判ったので笑いながら大きな手を宮坂の前に差出した。
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――さあ、よく見て頂きましょう。多分神秘な運命が筋に現れている筈です」
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 そう言って彼は笑った。夫人も浮腰になり今更のように長年苦労を共にして来た夫の老いた掌を覗いた。そして此の尊敬すべきか、軽蔑すべきかを決しかねた日本人に対する態度を仔細に視まもった。
 宮坂は彼が熱心になるときの子供のように顧慮しない性癖を丸出しにして老
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