っぱり反射的にその男のあとを追った。広い劇場の廊下の半町程《はんちょうほど》もその男のあとを追って
 ――あなたは、何誰《どなた》でしたか。
 と真面目《まじめ》で男の顔を見て訊《き》いた。男はかつて、かの女の処《ところ》へは逸作の画業に就《つ》いての用事で、或《あ》る雑誌社から使いに来た人だった。男は、かの女が其《そ》の時の真面目くさって自分の名を訊いた顔を忘れないと方々《ほうぼう》で話したそうだ。だが、それも、五六年前だった。画業に於《おい》て人気者の逸作と、度々《たびたび》銀座を歩いて居るとき、逸作が知らない人達に挨拶をされても鷹揚《おうよう》に黙々と頭を一つ下げて通過するのを見習って、彼女もいつまで、自分のそんな野暮《やぼ》なまじめを繰り返しても居《い》なかったが、今朝《けさ》の逸作が竹越氏に対する適応性を見て、久しぶりで以前の愚直《ぐちょく》な自分を思い出した。
 ――痛《いた》っ。
 かの女は駒下駄《こまげた》をひっくり返えした。町会で敷いた道路の敷石《しきいし》が、一つは角を土からにょっきり[#「にょっきり」に傍点]と立て、一つは反対にのめり込ませ、でこぼこな醜態《しゅう
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