、うむ、と逸作は、旨《うま》いものでも喰《た》べる時のような味覚のうなずきを声に立てながら息子の手紙を読んで居る。
 ――ねえパパ。
 ――うるさいよ。
 ――何処《どこ》まで読んだ?
 ――待て。
 ――其処《そこ》に、ママの抒情《じょじょう》的世界を描けってところあるでしょう。
 ――待ち給《たま》え。
 逸作は一寸《ちょっと》腕を扼《やく》してかの女を払い退《の》けるようにして読み続けた。
 ――ねえ、ママの抒情的世界を描きなさいって書いて来てあるでしょう。ねえ、私の抒情的世界って、何なの一《いっ》たい。
 ――考えて見なさい自分で。
 ――だってよく判《わか》らない。
 ――息子はあたま[#「あたま」に傍点]が良いよ。
 ――じゃ、巴里《パリ》へ訊《き》いてやろうか。
 ――馬鹿《ばか》言いなさんな、またたしなめられるぞ。
 ――だって判んないもの。
 ――つまりさ、君が、日常|嬉《よろこ》んだり、怒ったり、考えたり、悲しんだりすることがあるだろう。その最も君に即《そく》したことを書けって言うんだ。
 ――私のそんなこと、それ私の抒情的世界って言うの。
 ――そうさ、何も、具体
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