離れ、一つの人格として認め得た時から息子への愛が確立したのだ。)本能で各々《おのおの》その親達が愛するのは宜《よ》い。然《しか》し、逸作達が批判的に見る世の子供達は一見|可愛《かわい》らしい形態をした嫌味《いやみ》な悪《あく》どい、無教養な粗暴な、而《し》かもやり切れない存在だ。
――でもパパは、童女《どうじょ》型だの、小児性《しょうにせい》夫人だのってカチ(逸作はかの女を斯《こ》う呼ぶ)を贔屓《ひいき》にするではないか。
――大人で童心《どうしん》を持ってるのと、子供が子供のまんまなのとは違うよ。大人で童心を持ってるその童心を寧《むし》ろ普通の子供はちっとも持ってないんだ。だから子供のうちから本当の童心を持ってる子はやっぱり大人で童心を持ってる人と同じく尠《すく》ないんだよ。
斯《こ》うした筋の通らぬような、通ったような結論を或時《あるとき》二人がかりでこしらえてしまった。
道の両側は文化住宅地だった。かの女達が伯林《ベルリン》の新住宅地で見て来たような大小の文化住宅が立ち並んでいる。だが、かの女|等《ら》は、此《こ》の日本の小技工のたくみな建築が、寧ろ伯林のよりも効果的だと
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