判力に服するようにさえなった。だが、息子のそれらの良質や、それに附随《ふずい》する欠点が、世間へ成算《せいさん》的に役立つかと危《あや》ぶまれるとき、また不憫《ふびん》さの愛が殖《ふ》える。
 ――おい、小学校の方でなく、こっちから行こうよ。
 ――何故《なぜ》。
 ――だって、子供達が道に一《いっ》ぱいだ。
 ――早く、墓地へ行って手紙|見度《みた》いから近道行こうってんでしょう。
 ――………………。
 ――え、そうでしょう。
 ――俺は子供きらいだ。
 そうだった。かの女はそれを忘れて居たのだ。逸作が近道を行って早く息子の手紙を見度いのも本当だろうが、逸作はたしかに、ぞろぞろ子供に逢《あ》うのは嫌いだった。子供は世の人々が言い尊《とうと》ぶように無邪気なものと逸作もかの女も思っては居なかった。子供は無邪気に見えて、実は無遠慮な我利我利《がりがり》なのだ。子供は嘘《うそ》を言わないのではない。嘘さえ言えぬ未完成な生命なのだ。教養の不足して居《い》る小さな粗暴漢《そぼうかん》だ。そして恥や遠慮を知る大人を無視した横暴《おうぼう》な存在主張者だ。(逸作もかの女も、自分の息子が子供時代を
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