音に感じる。ただ、今はひとのことで或《あ》る時、或る場合|一寸《ちょっと》此《こ》の字が現われて来るのなら彼女は宜いと思う。芝居の仕草《しぐさ》や、浄瑠璃《じょうるり》のリズムに伴《ともな》い、「天下晴れての夫婦」などと若い水々《みずみず》しい男女の恋愛の結末の一場面のくぐり[#「くぐり」に傍点]をつける時に、たった一つ位《くら》い此の言葉を使うのは、世話に砕《くだ》けたなまめかしさを感じて宜いと彼女は思う。だが、もっと地味に、決定的に、質実に、その本質を指定することも出来ない組み合せになって相当、年月を経《へ》た男女――少なくとも取り立てて男女などと感じなくなった自分達だけは、子の前などでは尚更《なおさら》「夫婦」なんてぷんぷんなま[#「なま」に傍点]の性欲の匂《にお》いのする形容詞を着せられるのは恥《はず》かしい。よく年若《としわか》な夫が自分の若い妻を「うちの婆《ばあ》さん」などと呼ぶ、あれも何となく気取って居《い》るように思われるが、でも人の前で、殊《こと》に器量《きりょう》の好《よ》くない夫婦などが「われわれ夫婦」などと言うのを聞くのをかの女は好まない。新聞や雑誌などで、夫婦
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