きだ。何処《どこ》といって無駄な線のない顔面の初老に近い眼尻の微《かす》かな皺《しわ》の奥までたっぷり太陽の光を吸っている。風が裾《すそ》をあおって行こうと、自転車が、人が、犬が擦《す》り抜けて通って行こうと、逸作は頓着《とんじゃく》なしにぬけぬけと佇《たちどま》って居る。これを、宇宙を小馬鹿にした形と、かの女は内心で評して居る。
――もう宜《い》いのかい。
逸作の平静な声調《せいちょう》は木の葉のそよぎと同じである。「死の様《よう》に静《しずか》だ」と曾《かつ》て逸作を評したかの女の友人があった。その友人は、かの女を同情するような羨《うらや》むような口調で言った。だが、かの女はそれはまだ逸作に対する表面の批評だと思った。逸作の静寂《せいじゃく》は死魂の静寂ではない。仮《か》りに機械に喩《たと》えると此《こ》の機械は、一個所、非常に精鋭な部分があり、あとは使用を閑却《かんきゃく》されていると言って宜《よ》い。無口で鈍重な逸作が、対社会的な画作に傑出《けっしゅつ》して居るのは、その部分が機敏《きびん》に働く職能《しょくのう》の現れだからである。逸作のこの部分の働きの原動力、それはある
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