《いろいと》の刺繍《ししゅう》のような藪蔓草《やぶつるくさ》の花をどうして薔薇《ばら》や紫陽花《あじさい》と誰が区別をつけたろう。優雅な蒲公英《たんぽぽ》や可憐《かれん》な赤まま草を、罌粟《けし》や撫子《なでしこ》と優劣《ゆうれつ》をつけたろう。沢山《たくさん》生《は》える、何処《どこ》にもあるからということが価値の標準となるとすれば、飽《あ》きっぽくて浅《あさ》はかなのは人間それ自身なのではあるまいか。だが、かの女が草を除《と》らないことを頑張れば息子も甘酸《あまず》っぱく怒って、ことによったらかの女をスポーツ式に一つ位《くら》いはどやす[#「どやす」に傍点]だろう。そしたらまあ、仕方が無い、取っても宜《よ》い。どやす[#「どやす」に傍点]と言えば、かの女が或時《あるとき》息子に言った。「ママも年とったらアイノコの孫を抱くのだね、楽しみだね」と、極々《ごくごく》座興《ざきょう》的ではあったけれど或時かの女がそれを息子の前で言ってどやさ[#「どやさ」に傍点]れたことをかの女は思い出した。どやし[#「どやし」に傍点]た息子の青年らしい拳《こぶし》の弾力が、かの女の背筋に今も懐かしく残って
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