まった。
――ねえパパ、こんな処《ところ》へ朝っから来て、こんなこと言ったりしてることも私の抒情《じょじょう》的世界ってことになるんでしょうね。
――ああ、当分、君の抒情的世界の探索《たんさく》で賑《にぎや》かなことだろうよ。
逸作は、息子の手紙を畳《たた》んだりほぐしたりしながら比較的実際的な眼付きを足下《あしもと》の一処《ひとところ》へ寄せて居た。逸作は息子に次に送る可《か》なりの費用の胸算用《むなざんよう》をして居るのであろう。逸作の手の端《はし》ではじけている息子の手紙のドームという仏蘭西《フランス》文字の刷《す》ってあるレターペーパーをかの女はちらと眼にすると、それがモンパルナッスの大きなキャフェで、其処《そこ》に息子と仲好《なかよ》しの女達も沢山《たくさん》居て、かの女もその女達が可愛《かわい》くて暇《ひま》さえあれば出掛《でか》けて行って紙つぶてを投げ合って遊んだことを懐しく想い出した。
逸作が暫《しばら》く取り合わないので、かの女も自然自分自身の思考に這入《はい》って行った。
暫くしてかの女が、空に浮く白雲《しらくも》の一群に眼をあげた時に、かの女は涙ぐんで居《い》た。かの女は逸作と息子との領土を持ち乍《なが》らやっぱりまだ不平があった。世の中にもかの女自身にも。かの女はかの女の強情《ごうじょう》をも、傲慢《ごうまん》をも、潔癖《けっぺき》をも持て剰《あま》して居た。そのくせ、かの女は、かの女の強情やそれらを助長《じょちょう》さすのは、世の中なのだとさえ思って居る。
人懐《ひとなつ》かしがりのかの女を無条件に嬉《よろこ》ばせ、その尊厳《そんげん》か、怜悧《れいり》か、豪華か、素朴か、誠実か、何でも宜《よ》い素晴らしくそしてしみじみと本質的なものに屈伏《くっぷく》させられるような領土をかの女は世の中の方にもまだ欲しい。かの女はそういうものが稀《まれ》にはかの女の遠方《えんぽう》に在《あ》るのを感じる。然《しか》し遠いものは遠いものとして遥《はる》かに尊敬の念を送って居たい。わざわざ出かけて行って其処《そこ》にふみ入ったり、附《つ》きまつわったりするのは悪《あく》どくて嫌だ。かの女はそんな空想や逡巡《しゅんじゅん》の中に閉じこもって居る為《ため》に、かの女に近い外界からだんだんだん遠ざかってしまった。かの女は閑寂《かんじゃく》な山中のような生
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