ある男の死
岡本かの子
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)生憎《あいにく》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)そつ[#「そつ」に傍点]
−−
A! 女学校では、当時有名な話でありました。それは
『二時間目事件。』
といふのでした。
新学期がはじまつてから二ヶ月程後のある日、朝から二時間目の歴史の時間に起つたこと。と書きたてるほど大げさなことでもないのに、それをそれほど有名にしたのは、まつたく、その男の――つまり、その歴史の時間での先生である溝口文学士の性格によるのでした。
やんちや盛りの、何かことあれかしと、いつも何事かまちかまへて居るやうな女学生の――それがまして、四年生頃の十六七を揃へて何処かにヱロチシズムなおもくるしさを交へながらのやんちやは、どうもたまらなく或る、不快と快感をごつちやに、若い男の先生などに与へると見えまして、その溝口先生も四月の新学期に始めて、その教室に現はれた時から、何となくおびえてでも居るやうに常に度の強い眼鏡の奥の眼ぶちを赤くふるはして居るやうに見えて居ました。一たいが、小づくりで、薄皮膚の色の白いやはらかに素直な毛をそつ[#「そつ」に傍点]とわけて声もほそぼそと、歴史といふ遠い昔の夢をロマンチツクにおどおどと語る――ただ、すこしほんのすこしではあるけれども、見栄坊に気どつて年頃の女生徒への多少の対感意識はあつたやうでした。否々、それが内所には実に非常に多かつた為に遂にはその件が次のやうなあまり意外な結果となつてしまつたのでありませう。
その先生が、或る日、つまり新学期がはじまつて二ヶ月程してからの六月始めの朝から二時間目の歴史の時間に。
『そして、その時藤原の鎌足公は……』
と、すこし気どつた細い声で華奢な片手を片一方の腰部にあてて、いかにもロマンチツクに語り続ける最中に、
どかん[#「どかん」に傍点]
と教壇から片足落して、次いで溝口先生は一たまりもなく溝口先生の短い足のふみ場としては生憎《あいにく》谷のやうにふかかつた教壇下の床の上に体をなげだされてしまひました。生徒一同がそれを見て、始めに書いたやうな生徒一同がそれを見てどうして笑ひさわがないで居ませう。なかで勢の好い女の児は、わつわと男の児のやうにはやしたてました。おとなしいのは、それよりもむしろこたへ
次へ
全2ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 かの子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング