その男は睡つて正體なく、
髮はぼうぼうとのびて、
さながら醉ひどれの如し、
泥の如し。

鳥は巣に鳴き、
風は林を吹く。
ああ眠れる日はどろんとよどんで、
今大洋の水平線上を行く。

この男に聲をあたへ、
この男をゆりさまし、
この男に閃をあたへ、
この男を立たしめよ!

  惠まれない善

自分は善を欲する、
自分は善を欲する、
何ものにも惠まれない善、
あえかな微笑、
遠い大洋のなかに涙する鳥、
帆なく舵なく眠れる船、
その黒い脣に、
齒は白く露出《むきだ》して、
永遠の海底《うなそこ》を行く魚の如し。

ああ波切る舳《みよし》、
空映す波、
不斷に帆桁きしる風は、
目に見えぬ黒い旗の如し。

ああ何もの、
何もの、
この力あたへる眞空《しんくう》の内、
一物の響なし、
一物の響なし。

  死の歌

『おまへはどこから來た』と夜《よる》の木《こ》の葉がささやく。

『おれは冬の地平線の先きから來た、
まだ夜《よ》の明けない土地から來た』と風がささやく。

『ああおまへの聲はすごい、
お前の聲は弱弱しく、
かすかだが、
いつまでも耳を離れない』と木の葉がささやく。

『それはさ
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