字上げ]8. ※[#ローマ数字7、1−13−27] 16

 第一篇

  哀憐

別れて後《のち》は、
永く哀憐の涙をこぼす。

別れ路《みち》にはうまごやしが
咲いてゐた。

その花の面影は
何時も黒い頭巾《づきん》をかぶつた尼僧《あま》の影、

日が曇ればそのあたり、
灰色の霰がしづかに走り、

日が照れば目に見えず、
昨日《きのふ》の雪は消えてゆく。
[#地から1字上げ]2 ※[#ローマ数字10、1−13−30]

  風見の鷄

風にせはしい風見《かざみ》の鷄《とり》、
草間《くさま》には赤い影《かげ》這ふ壞《くづ》れ屋に、
オランダ服の十歳《とを》ばかりの子が、
はねだま草のつやつやしい
あのつやつやしい黒い珠《たま》に
脣つぐむ氣のほそり。

風見の鷄はせはしくも、
金具《かなぐ》のペタルに明るい冬の日を、
一日おくる遠い遠い風。
さびしくも散歩して、
吹いてゆく風を思へば、
めまぐるしい金具の鷄、
あの金具の鷄!
[#地から1字上げ]5 ※[#ローマ数字1、1−13−21] 5.

  幸福の日

何時でも謂ひ知らぬ惱ましい日はゆく、
幸福は古ぼけた鉛人形のやうに、思ひ出と陰影をかき消して、
またも嘆く一絃琴……。

その坂には若い檜林《ひばばやし》が葉を匂はせてゐた。
打續く單音の琴の音は私の過去に立ちかへり、
聞くままに草間を鳴らす羽蟲の翼の音よりも靜かに嘆く……

  風景

霙は祈祷《きたう》の胸を打つ景色、
雪伏す野川《のがは》に氷を浸し、
冷たい灰色に身をふるはす祈祷……

透きとほる北風に祈りは叫ぶ、
霧に荒野の森は漂ひ……
[#地から1字上げ]MEIJI 41――

 第二篇

  靈を照らす光

ああ自分は泥も呑みました、
きたない水も呑みました、
私の腹は黒く、
私の咽喉《のど》はやけてゐる。

ああこの中に何ものかきれいなもの、
ああこの中に何ものかしみとほるもの、
ああこの中に魂かがやくアルコール、
その泥水を油とし、
その腸を油壺とし、
暗夜《あんや》を照らす不斷の燈、
不滅の燈、
汝の暗い靈を照らす光たらしめよ。
地獄極樂、
夜の燈、
天魔惡鬼の、
よるのともしび、
ああ輝けよ、
輝けよ、
路しるべせよ、
輝けよ!

  昏睡

一人の男に智慧をあたへる、
一人の男に黄金《きん》のかたなをあたへる、
一人の男に火をあたへる。
その男は睡つて正體なく、
髮はぼうぼうとのびて、
さながら醉ひどれの如し、
泥の如し。

鳥は巣に鳴き、
風は林を吹く。
ああ眠れる日はどろんとよどんで、
今大洋の水平線上を行く。

この男に聲をあたへ、
この男をゆりさまし、
この男に閃をあたへ、
この男を立たしめよ!

  惠まれない善

自分は善を欲する、
自分は善を欲する、
何ものにも惠まれない善、
あえかな微笑、
遠い大洋のなかに涙する鳥、
帆なく舵なく眠れる船、
その黒い脣に、
齒は白く露出《むきだ》して、
永遠の海底《うなそこ》を行く魚の如し。

ああ波切る舳《みよし》、
空映す波、
不斷に帆桁きしる風は、
目に見えぬ黒い旗の如し。

ああ何もの、
何もの、
この力あたへる眞空《しんくう》の内、
一物の響なし、
一物の響なし。

  死の歌

『おまへはどこから來た』と夜《よる》の木《こ》の葉がささやく。

『おれは冬の地平線の先きから來た、
まだ夜《よ》の明けない土地から來た』と風がささやく。

『ああおまへの聲はすごい、
お前の聲は弱弱しく、
かすかだが、
いつまでも耳を離れない』と木の葉がささやく。

『それはさうだ
おれは死の地《ち》、死の陰《かげ》に坐せるものから來た。
永遠に光のない土地から來た』と風がささやく。

彼等は互ひに見つめあつた、
木の葉はそよいだ、
風はそよそよと吹いた。
彼等は耳こすりした。
接吻した。
それから風は行く果も知らず飛んで行き、
木の葉はたえ間もなく身をふるはせた。

『ああおまへはどこから來た、
どこから來た』と暫くあつて木の葉はまたそよいだ。

『おれは遠くから來た、
光のない土地から來た、
今來たもののあとへ續いて來た』と別の風がささやいた。

『ああおまへの來るのは止む間もない、
あとからあとからと續いて來る』と木の葉がささやいた。

『それはさうだ、
おれは永遠の意志だ、
行つて行つてとまる事がない』と風はそよそよと吹いた。

『おまへの來るところには寒氣がする、
おまへの來るところには氣持よい影がない、
おまへの來るところにはあらゆる生きたものが、
すがれてしまふ』と木の葉がささやいた。

『それはさうだ。だがあれを見ろ』と風はささやいた。
彼等は闇の中に目をやつた、
ひときは光をまして星が輝いてゐた、
遠い闇底に涙のやうににじんで大きく輝いてゐ
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