《いろどりづ》を、
縫ひ縫ひ遠く遠く遠く彼方の果てに走せつつある……
ああ其の果て、銀灰の靄につつまれた地平の果て、
そこには吾れらが祖國の若い首府あり、
目ざましい吾れらの時代の紅《あか》い呼吸《いき》、
芽生えの青い感情、
さしのぞく華かな生の眼、
生を愛して心|霓《にじ》なす寶石の胸、
若く雄々しく純《きよら》かな青春の魂、
すべては今泥と襤褸《ぼろ》との大市街に包まれて、
未だ生れず、未だ叫ばず、
遙か彼方、地平の果てに、
黒煙《くろけむり》たち濁る地平の果てに、
おお海と平野、空と土地との別れ目に、
銀灰の靄の上に黒い突點を見せ、黒い帶を曳き、
遠く靜かに大都會は呼吸《いき》しつつある……
ああ季節は今|初夏《しよか》、日は水蒸氣たてこめる中空を薄曇らせ、
光ある眼下の風情《ふぜい》をおぼめかせ打和《うちやはら》げ、
思ひ深ませる肅《しめや》かな眞晝時《まひるどき》、
天地はさながら私、この未來を不斷に夢見るものに、
その單色にして質《しつ》まづしい行く手の彼《か》の世界を、夢ならぬ現實の世界を、
その儘、此處に語るやうである。
ああ私等の泥と襤褸との首府、
吾が可憐な生涯を小さくから追はされたその市中は、
吾が半生の鬪ひの地、吾が半生の汚れの地、
吾が十代のときからの過去と追憶を葬むる墳墓の地、
おお吾が墓は市内の到る處にある。
少年の聖なる禽獸の眼を輝かした其の最初の時代に、
次いで、絶望の闇い眼を、青春時代に、
狂氣と粗暴の眼を飛躍の時代に、
忽ち喜悦を、忽ち意氣阻喪を自己の建設の時代に、
おお吾が墓は市内の到る處にある。
ああ吾が墓は市内の到る處にある。
廓街《くるわまち》から突き出てゐる泥海《どろうみ》の中の島は、
私等中學生の隱れ休む芝草の巣だつた。
青ペンキ塗り剥げた三階建ての古校舍《ふるかうしや》は、
吾れら二十代のものゝ不平と重荷の授産場《じゆさんば》だつた。
市《まち》の東を貫く廣い河は、
人生の單調と孤獨とを夙《はや》くから教へた無愛想な死面《しめん》の寡婦《ごけ》である。
ああ吾が墓は市内の到る處にある。
市の中心を貫く繁華な電車街の大通り、
そこには金と白堊、青銅と硝子《ガラス》、瓦と大理石、
大小建築の軒並《のきなみ》屋根|高低《たかひく》に立並び、立續き、
いそぐ馬、蹴魂しい自動車、疾驅する電車、すれ交《ちが》ひ、行交ひ、馳せ交ふ群集、
そこには午前《ひるまへ》の赤い日、黄金《きん》の高屋根越しに照らすけれど、
路上の土塵《つちほこり》はまき上り、空中をこめ、半空を掻き濁らせ、
その灰白色な惡騷《わるさわ》がしさを迫き立て迫き立て押しこくり、
目まぐるしくも烈しい首府の繁榮をその鈴懸《すずかけ》の並木の上に形づくる。
ああ年少の時、私はこの目醒ましい大都會の活動に驚いた。
おお私の光明と滿足、そこにも吾が墓がある、吾が無邪氣な過去の崇拜がある、
しかし今にして思へば、この繁榮の上には襤褸の黒い大旗が懸つてゐる。
ああ花崗石の橋、濠割、並木の道路、人馬の雜沓、
そこには人間の壯麗な活動の美は見るに未だよしなく、
唯だ額青黒い群集が馳交ひ、行交ひ、すれ交ひ、
半ば濁れる大都會の華かな光を、忙しく呑む。
ああ吾が生ひ育つた市中のどこに、輝かしい精神がある、
あの瀝青色《チヤンいろ》の惡水ひかる濠割、
日蔭少い平地の諸公園、
赤衣裳の番卒の如き諸官省、
木立の葉、土ほこりに白い社、大寺院、大學……
背低くの胴に圓屋根《まるやね》赤く、さながら娼妓の嬌態《けうたい》と髮飾りを思はせる劇場、
更に工場、會社、銀行、鬪技場、
私等の首府は之れ等大建築物を取卷いて、
ただ雜然として遠く廣く其の鉛色の手をひろげ、波をうねらせ、谿を埋め、丘に連《つらな》り、
濠をめぐり、目まぐるしくも變化なく、素《そ》つ氣《け》なく、單調に、單色に、
ああ自然を讃美する心むなしい無表情の大都會を作る。
ああ私は此の中で育つた。
此處に、此のだだ廣《ぴろ》い市民の部落に、
私は育つた。
そこには雨の日、泥の沼遠くひろがる道路、
また風の日、褐色《とびいろ》の手で、町を叩きふせる屋外の砂埃り、
おお櫛風沐雨の乞食の市!
わたし等は自然に鬪ふ威力のない大都會で育てられた。
ああ吾が半生の鬪ひの地、汚れの地、
今この斷崖《きりぎし》より遠く見て、
幾山坂の行路をかへり見れば、
鋭い追想の情、吾が眼の力を一層鮮かにし、
おお眼の前を走る多數の襤褸の市の民、貧者《ひんじや》の酒場《さかば》、燈《ひ》の町、灯《ほ》の影暗祕密の路次、
嘗つては吾れもその仲間であつた生活の、
おおその肉身の思ひある共同の生活の、
過去一切の眞と贋《がん》との姿を今ありありと捉へ得て、
吾が未來の夢はまたこと新しく空《そら》に浮ぶ。
[#地から1
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