色の粉雪《こなゆき》、七むつかしい顰めつ面の迷ひ雲、
雲は下界のあらゆる聽覺を障ぎり、
老と沈默《しじま》と追憶の、
ひとりぼつちの古美術品展覽會、
ああ、世の聾《つんぼ》の老博士、無言教の寡婦さん、
子に先だたれた愁傷な親御達!
あなたがたの悔や嘆きもさる事ながら、
願はくば死ぬ時この人生にお禮を云つて御暇乞をして下さい。
それは慥かに人生に對する寛容の美徳です。
惡に報いる金色の光り放つ善です。
生はそれぐらゐ氣位高く、強く、明るく、
情熱を以つて、
鏡のごとく果つべきです。

  禮儀

[#天から4字下げ]A MME. GOFFOUSIEUX.

裸《はだか》ん坊《ばう》のわたしの心に、ああ天よ、花の紋うつくしい緑の晴れ着を與へたまへ、
わたしの眞率な心はこの氣高い『禮儀』にいままで心づかなんだ。
ああ五月! 五月は野の林に卯《う》つ木《ぎ》の白い花咲く月、
空には夏の威勢をはやも見せたる雲の Warriojs《ウオリアス》 の兜のかげほの見えて、
初夏《はつなつ》にふさはしい滿目の輕げな裝ひ、
その白皙人の瞳に似た青い空……
水色の絹地におなじ水色レエスの刺繍《ぬひとり》あるパラソルかざした彼女を先立てて、
その懷しい後影を見まもり進み、
青麥の畑路、垣根路、崖上の路をつつましく歩いてゆくとき、
この頃《ごろ》内《うち》しきりに思ひに沈み、言葉少なになつた吾が心は、いしくも此の『季節』の裝ひに眼が觸れはじめ、徐々に感嘆の胸をひらき、幾度か立止つた、ああ御身美しい五月の野よ!

思へばこの永の年月《としつき》いつも裸にして傷つき易く激し易かりし吾が心の木地《きぢ》、
その裸なるをよしとし、露骨《むきつけ》なるをよしとしたわが心の木地《きぢ》、
ああこのわが心に以後御身の緑の晴れ着を與へたまへ、
おお天よ、美しい五月よ、
御身の容《すがた》にあやかり、美しく心の裝ひして御身にむかふのは、
人のなすべきよい『禮儀』である。
おお、御身の容にあやかり、美しく心の裝ひして御身にむかふのは、
人のなすべきよい『禮儀』である。

  哀歌

[#ここから4字下げ、16字詰め]
また鶴が自ら長い線を空につくり、彼等の哀歌をうたひつゝ行くごとく
[#ここで字下げ終わり]
[#地から1字上げ]ダンテ『神曲』地獄篇第五曲

脣、抱擁、ああ八月の花に時ならぬ氷雨《ひさめ》の雲の來襲!
花は見る間に振りおとされて、その白い花瓣を全身にあびた喪心の木二つ、
さながら地獄の骨まばらな木にも似て……

[#ここから2字下げ]
ああフランチスカとパオロ、
渇ける口に火の呼吸《いき》、
とざせる胸に情《じやう》のたかまり、
御身等《おんみら》は死んだ、
嫉妬の黒い鋼鐵《はがね》の劍《つるぎ》。
[#ここで字下げ終わり]

それは恐らく私が夢見るのである、傷心の風俗畫《ミニアチユル》……
疾風《はやて》吹《ふ》きめぐる地獄の空を、
顏見かはし相倚る二つの影。

[#ここから2字下げ]
ああフランチスカとパオロ、
戀の火の灰、
ふりそゝぐ雨、
御身等《おんみら》は死なぬ、
今の世にもそれあり……
[#ここで字下げ終わり]

  騎士

[#ここから3字下げ、折り返して4字下げ]
Ma jeunesse ne fut qu'un 〔te'ne'breux〕 orage,
〔Traverse' c,a` et la` par de brillants soleils;〕
Le tonnerre et la pluie ont fait un tel ravage,
Qu'il reste en mon jardin bien peu de fruits vermeils.
[#ここで字下げ終わり]
[#地から1字上げ]Charles Baudelaire.
わが露《あらは》な胸が初めて君の赤い脣をうけ、君の脣を押しあてられた一瞬時、
わが二十幾年の孤獨の境涯底ふかく祕《ひ》められた黒い鐵櫃は、
奇しくも黄金《わうごん》の十字の紋章かゞやきいだし、感激に眩《めくる》めく一使徒がバプテスマの河をよろめき足して岸に這ひあがるごとく、
わが多端にして光あふるゝ未來の陸地《をか》へとわたしはよろめき押しだされた。

敗殘のわが旗を新しく染め、黄金の色燦たる十字の紋章をしるし、
今わたしは君の前へと敬虔にひざまづく裸の騎士、
戀は快樂でない、心の輝きである、おゝわが胸よりこの神を放したまはざれ!
胸に感激のこの火花ひらめき出でしときわが鼓動の鳩尾《みぞおち》に君の脣はこれを感じたまうたか。
今世界は黒い旗をおろし、青空の幕をかゝげ、その中天《ちゆうてん》に仰げとばかり、
破るゝがごとき光こぼつ日を照らし出した、ああこの最初のキス。

  鵠

狂はしい位魅力ある海の彼方《かな
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