ス》を遠くにかいま見つゝ、
その金剛石《ギヤマン》に輝く空のひかりを、
(彼處《かしこ》にはよい國あり……)
いま見くらべて悲しみ嘆くああ眼下のわが古巣の土地、
そこには起伏する山河《さんか》幾百里のうねり、
たはむれる獸、遊ぶ鳥の影ひとつ見えぬおびえの國、
ああ蹼《みづかき》の赤い脚さへおろし得ぬ土地に今空より優しい聲をおとし、
御身等《おんみら》のよい心のために祈らう、鵠《くぐひ》の鳥、
ああ祈らしめよ、祈らしめよ、この人生の逆風に吾が弱い心のまた吹きおとされぬやう、
ああ祈らしめよ、祈らしめよ、片羽《かたはね》おとして死身《しにみ》に飛ぶ『生』の險路のまた突きやぶれるやう、
(わたしは微笑《ほほゑみ》を欲す……)
そして天《あま》がけり、青い空をゆき、御身等《おんみら》のうへに、
この胸にひそむ火の叫びを雪ふらさう、わが希《ねが》ひとして……!
夜語り
Well my dear, あれはお伽話見たいな話だよ、
おれもお前も知らない世界、
雪降る窓に蝋燭の灯あかあかと、
家内そろつてお年越しの祭り……
(丸太小舍には息吹《いぶ》く年の瀬。)
Well my dear, あれは遠い遠い向うの國のことだね、
おれもお前も知らない國のこと、
銀紙のピカピカ光る小枝に綿の笹縁《ささべり》の雪、
七面鳥と土産の麥酒《ビイル》に笑ひさざめく一家内。
(丸太小舍には降りつもる年の雪。)
Well my dear, あれは私等の國にはない、
俺もお前も話で聞いた土地風俗、
そして夜更となり、村中寢沈まり、
はためく吹雪のなかの煙突。
(丸太小舍には此の頃忍び込む、例の赤裝束のお爺《ぢい》さん。)
Well my dear, あれはあの國の面白い人情だね、面白い人情……
おれもお前もほほゑむ世界、
ところであの國の人間は今|鬪《たたか》つてゐる、
そしてああ彼《あ》の一夜の祝ひ、
敵も味方も抱《いだ》きあふ雪の原つぱ、
兵隊外套連の交歡の賑ひ。
(丸太小舍には老の夫婦、夜半《よなか》頃から鳴きだす蟋蟀。)
[#ここから2字下げ]
作者註。この作は歐洲戰爭中獨墺軍と聯合軍とが特にクリスマスの夜のみは戰ひをやめて敵味方打交り隨所に會合して當夜の祭を祝し合つたのを思ひ出して書いたものである。年の瀬年の雪とは歐洲の習俗にて當夜の祝ひが日本の大晦日の年越しの祝ひの如き氣せられるより用ひた言葉である。なほ蟋蟀は彼地にては當夜あたりまで爐邊に棲息するが如し。
[#ここで字下げ終わり]
苦惱
わたしの心|惡鬼《あくき》のやうに物皆かなぐり棄てて髮振り亂し、
この人生に立ち迎へ、おお!
恍惚の日、初めて脣と脣を合せた日、一週日のあと、
この險惡な嵐の心にわたしは落つ。
おお何ものがわたしを斯くするか、斯くするかよ!
雨よ打て、わが鞭となり、
風よ吹け、その夜の黒い汁を無限にゆらめかし、
そして此の惱みに沈む青年の亂髮を思ひのまゝに梳づれ。
ああ生は見よ、私のために高く攀ぢがたい門となつた。
ああ戀人よ、遠くに靜かに眠る戀人よ、
身はのめり、魂は死し、
その上に狼は
足を踏まへて闇のなかに吠える!
[#地から1字上げ]8 ※[#ローマ数字1、1−13−21] 2
過去
自然は私に教へた、わたしの心は青く硬《かた》い果《このみ》のやうであることを。
わたしの今の時期はああ、その果《このみ》を眞茂《ましげ》る葉から日にさしのばす初夏の時期
わがために短かつたあの春は嵐の哮《たけ》りに、暗い氷雨《ひさめ》の打撃《うち》に、
さむい天氣の打續きに、
幾團の花はもぎとられてしまひ、
殘りのものに何時知らず孕みし果《このみ》……
おお指折り數へよ、この可憐《いたいけ》な生のしるし、
心細くも青天井の空を葉越しに垣間見て、
今むかへるや無辜の石室《いはむろ》の囚人のやうに、
この華《はなや》かな七月の日を!
おお幼年の時から青春まで幾つのわたしの絶望、荒い心の傷、あの黒い吐血の追憶《おもひで》、
今この美しい空のもとに何事もなく、
すべては清けだち、晴れ晴れし、萬《よろづ》のもの賑かに、
木下《こした》の風はなかを無心に吹きめぐる……
さらにその微風に乘つてひびいて來る優しい羽音、
わが華奢な明るい戀人、黒と黄だんだらの尾の蜜蜂、
荒い自然の搖《ゆす》ぶりも、今は吾れには唯だ唄とのみなる……
[#地から1字上げ]8 ※[#ローマ数字4、1−13−24] 17
出發
私の生活は始まつた。
野中の二岐路《ふたまたみち》に咲く黄色の蒲公英《たんぽぽ》、
そこには吾が過去の脱衣所あり、
吾が裸足《はだし》の足を立つべき芝草の褥《しとね》あり、
季節は春、その朗らかな晝空に漂ふ白い雲、
この雲のため、ああこの雲のため、私は一生
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