よ、
このどんどん降る雪のすばらしさよ。

  被虐待者

寒む風のなかで私は幾人かの借金取りに逢つた。
どれもこれも業突く張りだ、
無理矢理おれから財布をとり
着物をとり、肌着一枚にした。
やがてその肌着もとつて自分を丸裸にした。
[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]
(おお烈しい吝嗇坊《けちんばう》どもよ
 取ることより知らない人鬼達よ
 最後の一匹まで逃しまいとする虱取り!)
[#ここで字下げ終わり]

さて此處でおれは丸裸にされて鳥渡することに困つた。
何だか平常《ふだん》と勝手が違つて鳥渡の間途方にくれた。
ところで傍に河があつたのでいきなりそれへ飛込んだ。
借金取りはびつくりして暫時あつけにとられた。
その間におれはずんずん泳ぎ出した。

やがて彼れ等はうしろから不意に喝采した。
今おれから取つた肌着股引着物を振つて喝采した。
だがおれはそんなものには目もくれずずんずん泳いだ。
[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]
(そんなにおれのする事が面白く見えるなら、
 ちと君達もやつて見ろ!
 若くはこの寒ざらしの風のなかで、
 せめて眞裸《まつぱだか》にでもなつて見ろ!
 だがこれだけは考へて置け、
 おれのする事は眞面目だが、
 君達がすると醉興になるといふことを!)
[#ここで字下げ終わり]

ああ身を切るほど冷《つめた》い河水を對岸《むかうぎし》を目あてにして、
あの雪に埋れた對岸を目あてにして、
おれは泳いで行く。

あああの對岸《むかうぎし》の美しいことよ、
向うの景色の鮮明なことよ!
私の心臟は寒さと四肢《てあし》の烈しい動きと、
それにまたこの美しい景色を見る感動とで、
つぶれるやうだ。
それでも私は泳ぐ、
なほなほ泳ぐ。
溺れるか乘り切るかそれは知らぬ。
唯だ私はこの胸に脈打つ心臟と同じく、
動き出したら止まない力で前へ前へと泳ぎ出す。
[#地から1字上げ]3 ※[#ローマ数字12、1−13−55]

  冬越しの牧場

千年を千度《せんた》び重ねてわれ等祖先のうへに溯る、
私は太古の穴居時代の夢を見た。
幾千年は瞬くまにすぎて、その鐘乳岩の壁かがやく洞窟で、
私は最後に見つけた、ああ、その一とつまみの青草を!

いま私は現實の野外にゐる、
そこには冬越しの青草が可愛げもなく色褪せて生えのこる。
しかしこの草がいつか桃色の花咲くときを感じて、牧場の柵に今いつまでもいつまでも倚つかかる……。

あたたかく春風は吹いた、
雪はとける、
日は赤い。
[#地から1字上げ]3 ※[#ローマ数字10、1−13−30] 10

  小さい花

灰色の季節、
鉛色《なまりいろ》の雲、
白い粉《こな》のやうな雪がチラ/\降り、
そしてその雪で包まれた野原に
紅《あか》い小さい花が咲く。

おお紅い小さい花が咲く、
その花に私はものをいふ、
お前は何時生れ、
何時育ち、
何時蕾をもち、
そして何時その眞中《まんなか》に黄色い蕋を持つ小さい花を開いたか。

私は旅人《たびびと》だ、
私はひとりぼつちだ
私は灰色のながい季節を迎へ
鉛色の雲を上にいただき
身にはチラチラと粉雪を受ける。

ああ赤い日が霧のなかにおぼれてゐる。
風は泣くやうにそよそよと吹く。
そのなかにお前は瞳のやうに咲く。
[#地から1字上げ]5 ※[#ローマ数字6、1−13−26] 13

  天上の戀

曉の眞蒼《まつさを》な空のうへに、
赤い雲が一と切れ浮んでゐる。
地上には嵐が吹いてるが、
人は未だ覺めない。

私は寢轉んで、
莨をのんでゐる。
布團の上にゴロ寢をしてるが、
まるでどこかの草原にでも寢てる樣だ。
屋根屋根は灰色《はひいろ》で、
空はまつさをで、
その中に赤い雲が一と切れふはりと浮んでゐる。

その時私の心の中で蟲の樣なものが一心《いつしん》に鳴いてゐる。
――ああ、戀だ、
もつともつらい戀だ!
さうに違ひない、
暗い、
盲目《まうもく》なもの、
耳にぢぢぢ……とひつきりなく鳴く。

――ああ、戀、
戀!
私はこの美しい、嵐の中の眞蒼な靜かな天、
綺麗なヒステリーの女の眼のやうな天を、
今戀してるのだ……
[#地から1字上げ]5 ※[#ローマ数字6、1−13−26] 21

  番人の娘を戀ふ

お前の心にゑりつけよう、
私の心の底の文字を……
お前はそれを讀むか、
ああ黒い吾が夜々《よなよな》の夢よ。

わが夢は夜毎その字の意味を解き聞かせる。
ああ斯うしてつもりつもつた幾夜、
或る晩窓を開き、
遠くに光る星を見、
暗の中に搖れる樹を見、
つきなんとしてるお前の家の
有明《ありあけ》の灯《ともしび》を見る。

ああこの闇の庭に來て鳴け、
可愛いい雌鹿。
ああこの闇の庭に來て鳴け、
可愛いい雌鹿。
お前の夜を守《も》る灯《ともし
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