ゐる。秋の收穫が十月でをはり、日は一日毎にくらくなる頃、冬のための焚き物や食べ物の貯藏、家根や塀のための雪がこひの支度に取りかかる。その頃雨は毎日降る。瞬く間に山は痩せ林は裸になり、一物もない土地はひろびろと地平線につづき、到來の季節のために世界をあけわたす。やがて毎日の雨は霰と變つて、天の一角を削《こそ》げおとすやうに烈しく降つてくる。
地方農民はここで覺悟のほぞをきめる。大自然の嚴たる必然さ、人間のただ頭をさげるしかない無力に畏怖し、やつと習慣的な微笑でもつて心の苦痛を慰め、霰の晴れ間に兩手を襟もとに突込みながら、家のぐるりや、肥やしの置き場や、裏のひろびろとした田圃やを見廻るのである。
5
春が間近になる。夜なぞ外に出ると、星のない眞つ黒な空にも何ものか温かい氣が充ち充ちてゐるやうに思はれる。この頃雪が降れば粉雪ではなくて、牡丹の花びらのやうなボダ雪である。ついでこの雪が空中で融けて、何日か北方を目がけて眞一文字に吹く烈風におくられ、山や、野や、村の雪を融かす雨となる。河や、田に滿々と濁水を湛へて、去年《こぞ》の枯れ草の殘骸や、水際の灌木の骸骨を水浸しにする。
雨の降らない日は殘雪の底冷えで朝なぞ寒いが、曉闇の空氣を破つて山の小鳥の一隊が鋭くつぶやきの聲をあげ、屋根をガサガサ鳴らして餌をあさる。それが毎朝殖えてゆく。そして一群の羽音は未だ暗い屋のうへに強くはためき、この永いあひだ雪の音、風の音しか聞かなかつた單調な吾等の思ひを破る。わたしは何度枕に顏をおしあてて俯伏し、この小さい猛禽達の羽音、つぶやきに、斷ちわられたる季節の境を感じ、あの鼠なきといふ胸の迫る感激を覺えたらう。
雪は毎日融ける。日和は毎日續き出す。空には濛々と水蒸氣がたてこめ、畑の上の一面の雪は割れて黒土をあらはし、環境をめぐる山々は青くけぶり、その鋭い山肌の稜を靄のなかに水晶のやうに輝かし、街道は人馬の往來が頻繁になり、子供等は騷ぎ、農家は活氣があふれ、もう春の來たことは何處にも彼處にも見えて來る。
やがて大地の雪は皆消える、蕗の薹が淺みどりの鮮かな姿をあらはし始める。木の肌は光り、大地はうるほふ。
わたし等の體中の血が新たな血でめぐる思ひがし、腕、足の筋肉が力を別にした氣がして、ここらでは百姓女まで勞働用に穿くゴム靴を穿いて新しい大地のうへを歩む。
季節の享樂は最も健全な意味で、かうしてわたし等雪國人種に序開《じよびら》きをする……。
[#地から1字上げ]昭和三年六月・世田ヶ谷西山
底本:「日本現代文學全集 54 千家元麿・山村暮鳥・佐藤惣之助・福士幸次郎・堀口大學集」講談社
1966(昭和41)年8月19日初版第1刷発行
1980(昭和55)年5月26日増補改訂版第1刷発行
底本の親本:「現代詩人全集 第十卷」新潮社
1929(昭和4)年12月発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:川山隆
校正:土屋隆
2008年8月25日作成
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